一週間ほど前にアップした『お金(貨幣)の役割』(3月23日付)に関連して、俄かに唱歌『二宮金次郎』を想い出した。
尋常小學唱歌第二學年用第三課
『二宮金次郎』
by 納所文子(歌)、納所弁次郎(ピアノ伴奏)
一、
柴刈り、縄なひ、草鞋をつくり、
親の手を助け、弟を世話し、
兄弟仲よく孝行つくす、
手本は二宮金次郎。
二、
骨身を惜しまず、仕事をはげみ、
夜なべ済まして手習読書、
せはしい中にも撓まず學ぶ、
手本は二宮金次郎。
三、
家業大事に、費(つひえ)をはぶき、
少しの物をも粗末にせずに、
遂には身を立て人をも済(すく)ふ、
手本は二宮金次郎。
戦前の教科書に載っていたが、戦後は削除されたため、当然に学校では習っていない。しかし、何故か知っている歌だ。小学校入学(昭和29年)時、未だ壱圓札紙幣が流通していて、貨幣の最小単位だった。その肖像画が二宮尊徳(金次郎;1787-1856年)だったのだ。ちょうど戦後復興の過渡期で、新校舎建設も並行して進んでいたが、戦前の木造校舎をそのまま遣っている学校が大半だった。ゆゑに、奉安殿や二宮金次郎像も存在意義は失くしていたものの、撤去されずに残っていた。
歌はもちろん、二宮金次郎は、自分にとって身近な存在だった。しかし、子供の頃は、この歌とともに孝行息子と言うイメージしかなかった。が、老境を迎えて知ったのが、「報徳思想」の始祖として、二宮神社に祀られているらしい。「報恩(恩に報いる)」や「報国(国家に報いる)」の語は知っていたが、「報徳(徳に報いる)」など聞いたことがない。いや、そうでもないか。高校野球の名門校に「報徳学園」(兵庫)というのがあった。やっぱり二宮公の報徳思想に因んだ校名なのだとか。
儒教思想に、「徳治主義」と言うのがある。孔子は、『論語』為政編に於いて、「覇道(武断政治)」に代わる「王道(徳治政治)」を説いている。だが、支那(近世以前の中国)に「王道」は定着せず、「覇道」ばかりが横溢して止まなかった。むしろ徳治主義は、シラス体制下の我国に於いて、皇室伝統の「仁政」という形で重用されたのだった。二宮公出現以前(公家・武家政権時代)の話である。
≪報徳訓≫
父母根元在天地令命 身體根元在父母生育
子孫相贖在夫婦丹精 父母富貴在祖先勤功
吾身富貴在父母積善 子孫富貴在自己勤労
身命長養在衣食住三 衣食住三在田畠山林
田畠山林在人民勤耕 今年衣食在昨年産業
来年衣食在今年艱難 年々歳々不可忘報徳
≪報徳訓 読み下し≫
父母の根元は天地の令命に在り 身体の根元は父母の生育に在り
子孫の相続は夫婦の丹精に在り 父母の富貴は祖先の勤功に在り
吾身の富貴は父母の積善に在り 子孫の富貴は自己の勤労に在り
身命の長養は衣食住の三つに在り 衣食住の三つは田畑山林に在り
田畑山林は人民の勤耕に在り 今年の衣食は昨年の産業に在り
来年の衣食は今年の艱難に在り 年年歳歳報徳を忘るべからず
報徳思想は、二宮尊徳が説き広めた経済思想、経済学説。
報徳の教えとは、二宮尊徳が独学で学んだ神道・仏教・儒教などと、農業の実践から編み出した、豊かに生きるための知恵である。神仏儒を究極的には一つにいたる異なる道に過ぎないと位置づけ、神仏儒それぞれの概念を自由に組み合わせて説かれている。そのため報徳の教えを報徳教と呼ぶことがあってもそれは宗教を意味するものではない。
報徳の教えの中心的概念は大極である。この大極にそった実践を行うということが報徳教の根幹をなす。二宮尊徳はこの大極を『三才報徳金毛録』のなかで円を描くことによってしめしている。この円を分けることにより、天地・陰陽などの区別がうまれる。つまり、大極とは、すべてのものが未分化な状態、一種の混沌状態をさす。
大極はつねにそこにあるものであるため、人間が何をしようがつねに大極とともにある。しかしながら、人間は我であるため、つねに大極と何らかの関係をとらなければならない。そこから大極に対して積極的に向かう姿勢である天道と大極に消極的に向かう人道の区別が生まれる。
尊徳は、天道にのみそって生きるこころ構えを道心と呼び、人道にそって生きるこころを人心と呼んだ。道心とは、天の理にそって、私欲を捨て生きることである。人道とは我欲にとらわれた心であり、欲するばかりで作ることがない。心が人道に囚われた状態でいる限り人間は豊かになることができない。道心にそった生き方をして、初めて人は真の豊かさを実現できるのである。
ここで重要なのは、道心にそった生き方というのが何処までも実利的・実用的に説かれているところである。道心は、それが善だからなどの道徳的な理由で選択されるべきものなのではない。報徳教は単に、人心に従えば衰え朽ち、道心に従えば栄えるという道理を説くに過ぎないのである。
至誠
道心にそったこころの状態を報徳教では誠とよぶ。この誠は儒教で言うところの徳や仁という概念に等しいものである。つまり、大極にたいして積極的に向かっていく暮らしとは、まず誠を尽くしたものでなければならない。我の心を大極と積極的にかかわる状態、つまり誠・徳・仁の状態に置くことを「至誠(しせい)」とよび、至誠がまず実践の第一をなす。
勤労
この至誠の状態で日常生活のすべての選択を行っていくことを「勤労(きんろう)」とよぶ。至誠がこころの状態をさすのに対し、勤労はそれが行動になって現れた状態をさすのである。そのため、勤労とは働くことを含むが単に働くことをさすのではない。
分度
勤労することで日常のすべての行動が誠の状態から行われるため、当然それは消費活動にも現れる。無駄がなくなり、贅沢を自ずから慎むようになる。これを「分度(ぶんど)」という。つまり、分度とはけちをすることではなく、至誠から勤労した結果に自然と使わざるをえないもののみを使うということを意味する。
推譲
そして、最後に分度して残った剰余を他に譲ることを「推譲(すいじょう)」とよぶ。分度と同様に、推譲は単なる贈与なのではなくて、至誠・勤労・分度の結果として残ったものを譲ってはじめて推譲になるのである。
~以上「ウィキペディア」より~
我国民の反中・嫌中感情は、今に始まったものではない。真逆と言っていいほど國體(≒国柄)が違い過ぎるのだ。
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