「日本は人権尊重しているか」
中国外務省、慰安婦問題提起
3/25(木) 19:04配信/JIJI.COM(時事通信社)
【北京時事】中国外務省の華春瑩報道局長は25日の記者会見で、日本政府が新疆ウイグル自治区の人権侵害に「深刻な懸念」を表明したことについて、「日本は慰安婦問題という人道上の犯罪で言葉を濁している。彼らは人権を尊重していると言えるのか」と反発した。
その上で「デマに基づいた中国に対する中傷をやめるよう望む」と強調した。
華氏は「日本の侵略戦争で3500万人を超える中国人が死傷し、南京大虐殺で30万人以上が犠牲になった」と中国側の主張を改めて展開。靖国神社にA級戦犯がまつられていることも問題視し、「歴史を直視し深く反省し、言葉を慎むように望む」と語った。
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イ.中国は過去の事と現在進行形の事実とはき違えている。過去の事を言うなら天安門事件を明らかにし一党独裁を恥じて民主的選挙で民意を問うのが今の共産党がやるべき覚悟じゃないかな。
ロ.第二次大戦といい、阿片戦争といい、
中国はウイグルや天安門問題への批判に対し、半世紀以上前の歴史事象で反論することしかできないのか?
ハ.「論点のすり替え」そのものですね。
しかも、どちらがデマに基づいた批判をしていることやら。
二.>日本は慰安婦問題という人道上の犯罪で言葉を濁している。
慰安婦は人道上の犯罪ではないし言葉を濁してもいません。道義的責任については、はっきりと謝罪しました。
木端役人ごときが北朝鮮みたいな言い分で吠えているだけのこと。下らない。
ホ.もう、あっちこっちから「人権」で批判されてるから、ヒス起こしちゃってるね(笑)。
もう、「軍事力が強いから、何をやっても許される」って時代じゃないんだよ。
百年、遅かったね。お疲れ様。
先稿(3月25日付)で指摘した通りの展開になってきましたね、先の大戦以前で思考停止状態。買収済みだったはずの日本からも火の手が上がり、世界中から非難轟々で孤立無援の四面楚歌。そりゃ当たり前でしょう、戦前の世界列強(大日本帝国を含む)は「帝国主義」の反省に立って今日があるのに、中共ときたらそれ(帝国主義)が死語同然の今日になって、またぞろ「帝国主義」に狂奔してるんだから。言うに事欠いて、「お前もやったじゃないか」と持ち出すのが、決まって質の悪い過去(帝国主義時代)の与太話(中身はペテン師紛いのウソ八百ばかり)しか言い返せるネタがない。
ところで、注目したのは、華春瑩報道局長とかいう中国外務官僚の発言で、「人道」と「人権」を遣い分けてる点だ。記事は当然、北京語から日本語に翻訳したものだから、原語で確認しないと何とも言えないが、記者が恣意的に区別したとも思えない。
誤訳でないことを前提にすると、この報道局長は、1945年までの戦時事象を「人道」、現在進行形の事案は「人権」と呼んでいる。なるほど国際法(人権法・人道法)に照らせば、この遣い分けは強ち間違いではない。但し、国際法と言っても戦後の国連(UN)によって制定されたもので、それ以前には存在しなかった国際法規に過ぎない。
国際人権法-統治者(国家)に被統治者(国民)の権利を守らせる恒常的ルール。
旧国連(UL)時代に該当法規定無し
国際人道法-紛争当事者(交戦国相互)の義務を定めた交戦国限定ルール。
旧国連(UL)時代は、ハーグ陸戦条約がこの法との近似性がある。
但し、「人道に対する罪」なる規定は何処にもない。
後に、所謂「東京裁判」で、戦勝国が私的刑罰(非合法)として適用。
中共の論理矛盾は、過去と現在の時間軸を意図的に隠し、悪意を以て「人道」と「人権」を同義語化しているところに起因する。帝国主義時代には国際法違反とされなかった「人権」だが、国際人権法が出来た現代だからこそ、国家(中共政府)による国民(国籍上の中国人民)虐待を国家犯罪として糾弾すべき確かな法的根拠なのだ。然るに「慰安婦問題」「靖国問題」なるものが仮にあるとしても、「人権」「人道」ともに当時の国際法文言にない以上、問題にすらならなかっただけの話、1945年以前と2021年とではそもそも「時代」が違い過ぎる。また、現行国際法上の「人権」と「人道」とでは、適用対象が明確に異なることにも留意したい。
【人権】-じんけん-human rights
人間が人間として当然に持っている権利
【人道】-じんどう-Humanitarian
1.人として守り行うべき道。
2.《仏教語》 六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)の一。人間の世界。
個人的には「人権」という言葉が嫌いだ。もともと西洋近代主義とズブズブの関係があり、革命思想から派生した造語らしい。道理で戦後左翼の常套句になってるわけだ。なお、「人道」が仏教からの派生語とすれば、こちらのほうが断然歴史が古い。それにしても「地獄道」「餓鬼道」「畜生道」「修羅道」「人間道(人道)」「天道(神道?)」とはよく言ったものだ。
我国の精神文化と各種の「道(みち)」は、切っても切れない密接な関係にある。「武道」然り、「茶道」然り、「華道」然り、「神道?」然りではなかろうか。戦後GHQ最大の誤謬は、神道を一宗教と断じた点だろう。尤も、誤解とまで言い切れない宗教的側面があることまで否定しない。それでも、着眼点を「道」に置かなければ、正鵠を射るには到るまい。要するに、唯物論的外見(かたち;形而下)だけの問題ではないということ。精神(こころ;形而上)をも含む哲学的領域まで理解出来ない限り、無理。分かり易く書くなら、奥儀・秘法・真理(本質)等を究めてこそ、はじめて免許皆伝を授かるはずのことではある。
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