前稿のコラム映像で、水島氏がブルックナー(1824-1896年)を称賛していた。同意である。バッハと共通するのは、カトリックとプロテスタントという宗派の違いこそあれ、ともに敬虔なキリスト教徒であったということ。ベートーヴェンやブラームスもクリスチャンに相異あるまいが、「敬虔な」の枕詞は付し難い。これが音楽にも顕われているように思う。
とにかくブルックナーの交響曲は、どことなく穢れた俗世を離れた天上の音楽といってよい。〝天上″とは天下(俗世・浮世)に対する謂いである。少なくともベルリオーズやマーラーのような、煉獄地獄を想起させる狂気の音楽ではない。聴いていて不思議と心が浄化される気がする。
ということで、次の討論をご参考に願いたい。三時間以上の番組なので、興味ない方には苦痛でしかないかも。ただし、地上波TVとは真逆の視点(つまり保守派)に立つ論客ばかりゆゑ、思わぬ発見があるやも。
【討論】日本の希望[桜R2/12/22]
パネリスト:
井上和彦(ジャーナリスト)
大高未貴(ジャーナリスト)
掛谷英紀(筑波大学システム情報系准教授)
田中英道(東北大学名誉教授)
本間奈々(新党くにもり代表・チャンネル桜北海道キャスター)
三浦小太郎(評論家)
渡邉哲也(経済評論家)
司会:水島総
今日の不穏な国際情勢につき、無神論者対あらゆる信仰者の戦争と捉えた掛谷准教授の意見(2:13:00)が新鮮だ。
ブルックナーの交響曲に戻ると、後期三作が何れも素晴らしい。愛聴盤を聴いてみよう。
ブルックナー『交響曲第7番』
by シューリヒト指揮ベルリンフィル(1938年録音)
世評高きはハーグフィルとの演奏(1964年ステレオ録音)だが、自分は採らない。オケが弱すぎて聴くに堪えない。明るい音色の墺太利・南独逸系オケに比べると、フルトヴェングラー時代のベルリンフィルは幾分暗い印象がある。が、チャイコフスキー的悲愴・寂寥・絶望の音というより、夜明け前の漆黒といった希望が宿っている。とりわけ、怒涛の第一楽章終結部に圧倒される。
ブルックナー『交響曲第8番』
by クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘンフィル(1963年録音)
ブルックナーの交響曲を最初に買ったレコードがこの第8番(但し、カラヤン・ベルリンフィル)だった。ワグナー指揮者として知られたクナだから、ワグナー崇拝者ブルックナーとも相性がいいはず。ところが、南独逸のオケにしては随分暗い音色を出している。しかし、そんなことを忘れさせるほど宇宙的壮大な音楽だ。破竹の第四楽章が素晴らしい。
ブルックナー『交響曲第9番』(未完成)
by シューリヒト指揮ウィーンフィル(1961年録音)
第三楽章までしか遺されていない所謂『未完成交響曲』である。シューベルトの通俗曲じゃあるまいに。だが、流石に最後の交響曲だけあって、完成度(?)というか作曲練度は最も高い。第一楽章の始まりから第三楽章終結まで、癒しのカタルシス効果覿面である。敬虔な信仰に裏打ちされた神々しさが、演奏者に乗り移ったかのようだ。
なお、ブルックナーの交響曲は、後世の研究者や音楽家の手が加えられた所謂「改訂版」が広く出回っている。現にクナ盤はノヴァーク改訂版が使用されているので注意が必要だ。
コメント