卒爾にも童謡『お百姓さんの歌』を思い出した。訳は、買ってきた無洗米『岩船産こしひかり2㎏』を米櫃ならぬポリ容器に移し替える際、手元狂って大量にこぼしてしまったのだ。捨てるにもったいないが、時節柄、ロクに掃除もしない床に散らばったものを口にするわけにもいかない。思案余って脳裏を過ぎったのが、『お百姓さんに申し訳ない。謝りなさい。(その心;丹精込めて作られた一粒の米たりとも粗末に扱ってはならぬ)』と、幼い頃母親に躾けられるときの小言。そして、当時流行っていたのがこの童謡、という妙な因果関係にある。
「百姓(しゃくしゃう)」の語は、今や農業従事者への侮蔑語であるかのように見做されがちだが、全くの誤解であり、迷信(ウソ)である。
古代ではヒャクセイと読み,農民に限らずひろく一般人民を指し,万民という言葉と同様な意味で用いられた身分呼称であった。その語源は,古代中国において族姓を有するすべての人のことで,百とは族姓の多いことを示す語である。日本古代の百姓は,オオミタカラ(大御宝),ミタミ(御民)などと呼ばれ,古代王権のもとにあった王民,公民,良民全体を含みこんでおり,律令制下では一般戸籍に編戸された班田農民,地方豪族,官人貴族らは,すべて百姓とされた。
~平凡社『世界大百科事典』WEB版より引用~
事典に出て来る「大御宝」も「御民」も現代では死語同然だが、「(天皇の)赤子[せきし]=赤ん坊」との言い回し同様、天皇(すめらみこと)との関係における一般民衆を指す語であった。如何に尊重されていたかが分かろうというもの。古代から戦前・戦中までなら、八っつぁん熊さんやミーちゃんハーちゃんの下世話な庶民段階まで、文字でも言葉でも、至極当たり前に通用した普通名詞である。また、赤ちゃんを授かることを「子宝に恵まれる」と表現するのも、同じ意味合いをもつ言い回しだろう。
お百姓さんの歌(昭和27年発表)
作詞;武内俊子/作曲;丹生健夫/歌;キング児童合唱団
歌詞;
一、蓑着て 笠着て 鍬持って
お百姓さん ご苦労さん
今年も豊年 満作で
お米が沢山 取れるよう
朝から晩まで お働き
二、蓑着て 笠着て 鍬持って
お百姓さん ご苦労さん
お米もお芋も 大根も
日本国中 余るほど
芽を出せ実れと お働き
三、蓑着て 笠着て 鍬持って
お百姓さん ご苦労さん
貴方のつくった 米食べて
日本の子供は 力持ち
誰にも負けない 力持ち
自分が保有する持田ヨシ子盤とは歌手名クレジットが異なり、同じ音源か判然としないけれど、懐かしいなあ。「お百姓さん」は、少なくともこの歌が作られた戦後間もない昭和27年頃までは、童謡になって歌われるほど広く親しまれた単語であったことがよく分かる。これが「農民さん」じゃあ親しみが湧かないしサマにもならず、歌にしようがないもんね。
*ご参考*
陸海軍礼式歌『御民我(みたみわれ)』(昭和18年制定)
by 伊藤武雄(バリトン;1905‐1987年)-1937年応集、上海戦で右手失う
作詞 海犬養岡麻呂-あまのいぬかいのおかまろ-(出典;『萬葉集』)
作曲 山本芳樹
御民我 生ける験あり 天地の 栄ゆる時に 遇えらく念えば
戦後生まれの自分は当然知らぬ歌だが、大学生だった昭和40年代初頭、テレビ放映された某戦争映画(題名忘れた)に、『海ゆかば』とともに挿入歌として使われていた(但し、当伊藤武雄盤ではない映画用別物)。映画そのものは戦後的価値観に基づく凡作・駄作の類だったが、両曲の故郷に戻ったような不思議な安寧を呼び覚ます神通力(?)に、以後の一時期、会社の宴会などでよく歌ったものである。きっと古(いにしえ)の空気が籠められていて、御先祖様から受け継いだ「血」がそうさせたに違いなかろう。喩えるなら、我が民族の〝讃美歌″になっている、からかもしれない。
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