直近で「よい日本人」とか「日本精神」とかを持ち出した。実は、自分(自国)のアイデンティティを探る意図からだ。これの最適語として【國體(国体)】がある。古来の大和言葉(訓読み)では「クニカタ」と読ませるらしい。つまり「国家の形態(形而上・下を問わず)」という意味で、言うまでもなく戦後始まった国民体育大会の略語ではない。聞くところによると、外国語には該当語がない我国独特の特殊語なのだとか。強いて挙げれば、「国柄」が近いかもしれない。尤も、「国柄」は律令制下乃至幕藩体制下の国内国(例;武蔵、大和など)を指した言い方で、もともと近代国家(外国)を想定していない。従い、「英国の國體」とか「中国の國體」などの言い方はしない。
【國體】の何たるかを知るには、『國體の本義』(文部省編纂;昭和18年版)という便利な文献がある。下記は、我がホームページに転載したそれである。
歴史的仮名遣いは苦にならないものの、文体が硬くて全文読むのに骨が折れる。馴染みない語が多くて、いちいち辞典を引くのも難儀である。自分で転載しておきながら、理解度はさっぱりのザマである。収穫は唯の一点のみ。戦後人が無批判に崇拝する西洋思想(「個人主義」「自由主義」「合理主義」=西洋近代主義)も、外来思想としての支那思想(儒教)も、我が【國體】に合わないと喝破している点。蓋し慧眼ではないか。
国体論と戦後日本[チャンネル桜]-平成28年2月13日放送
パネリスト:
荒谷卓(陸上自衛隊特殊作戦群初代群長・至誠館館長)
小堀桂一郎(東京大学名誉教授)
澤村修治(評伝作家)
四宮正貴(「四宮政治文化研究所」代表)
田中英道(東北大学名誉教授)
馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
司会:水島総(チャンネル桜社長) (肩書は収録当時)
何を隠そう、小堀・田中両先生は、我が信頼する「有識者」である。司会を含む他のパネリストも保守系論客ばかり。ゆゑに、或る意味仲間同士だから激論にはならないが、淡々とした意見陳述が、古称『大和国(大いなる和らぎの国)』たる我が【國體】に適う討論番組となっている。
【國體】を”国家の身体”と擬人化したり、シラス論の権威(=シラス)、権力(=ウシハク)が出てきたり、我が”万民・自然協調(結び)社会”と西洋流”階級(ヒエラルキー)対立社会”の違いが強調されるなど、いちいちごもっともで勉強になる。因みに、「対立」の大和言葉(訓読み)は、”ならびたつ”なのだとか。そもそも我国には、文字通りの「対立」という概念さえなかったのだ。
自己流の結論ながら、西洋近代主義的イデオロギー(虚偽意識=田中教授曰く「ユダヤ思想」)の穢れを祓うために、今一度「記紀」「万葉集」の時代に還って、当時の息吹を知覚することだろう。つまり、単身で大自然に接することで、他人(世間様)の助力なしには生きていけない個人主義の限界を悟ること。精神面では、天皇(権威=シラス)、支配層(権力=ウシハク)、被支配層(国民=大御宝)という構造を想い描くこと。これにより、権威(天皇)の大御宝としての国民は、権力(マスコミを含む四権)からの自由(解放)を享受できるのである。
誇るべき日本人の心
戦後も昭和期頃までは、戦前の教育勅語世代が各界指導層を占めていたから、各組織にシラス思想が厳然と残っていた。企業で言うと、誰かの所有物ではなく、経営者・従業員・顧客の三者共同体という考えの下、経営者は、従業員に対して親御さんから大切な御子息を預かっているという意識だったし、利益を産み出す顧客に対して“お客様は神様”が流行語になったほど。而るに、何でも西洋式に変革されて経済失速したのが平成期である。企業は株主の私有財産とする西洋思想は我が【國體】に合わないこと甚だしい。
コメント