前稿の動画で小名木氏が、「権威としての天皇が、権力の上におわします。」と解説していた。なるほどと得心しながらも、上下関係は誰が決めたのだろうとの疑問も湧く。そう言えば、征夷大将軍は、秋の権力者(大伴家持、源頼朝、徳川家康など)が天皇から下賜される官位であった。このことからも、天皇が権力者より上位にあることが解る。
しかし、上下関係を示すピラミッド図が現実社会には存在せず、あくまで人々の内心が創り出す形而上(無形;五感では認識できない)の問題でしかない。従い、上下区分を認めない人には、常識としての上下関係などないに等しい。つまり、対手が会社の上司であっても、自分が上(例えば年齢的に)と思う人にとっての上下関係は逆転する、ということ。
話が逸れた。お題目は「台湾発日本精神」だった。そもそも日本精神(現地語読み;ジップンチェンシン)は、蔡焜燦著『台湾人と日本精神』(2000年)により普及した言葉で、日本統治時代(1895‐1945年)から既にあったわけではない。書物の著者は蔡焜燦だが、提唱したのは李登輝元総統(在職1988‐2000年)とされる。
日本統治時代の台湾
日本統治時代の台湾と朝鮮に関する動画(うち朝鮮部分は省略)である。「植民地」「同化政策」などサヨク的言い回しや無知からくる事実誤認が酷いナレーションではある。それはさておき、台湾のお婆さんが、日本精神の中身として【義理堅い、真面目、勤勉】を挙げている。当方の基準に照らすと、当たらずとも遠からずながら、教育勅語世代の”よい日本人像”に近い。「日本精神」の根幹は、李久惟氏が語る”利他の心(=利他主義)”にあるのではないか。お婆さんが挙げた三要素は、戦後日本人には限りなく薄れ(劣化し)つつあるものの、”利他の心”なら戦後も一貫して受け継がれていると考える。
利他主義(altruism;アーティズム)とは、利己主義(egoism;エゴイズム)の対義語である。自己の利益のみを追求する(私欲に溺れる)利己主義とは対極をなし、自己より他人の利益を優先する考え方である。しかも、自己の助力に対する何らの見返りも求めない(←これ重要。見返りを期待すれば忽ち「偽善」と化す。)「至高の愛(アガペー;神の人間に対する絶対愛)」である。何だか難しそうだが、俗に言う「仏心(ほとけごゝろ)」に似ている。つまり、仏教で言う「慈悲(いつくしみあわれむ)の心」を指す。天皇陛下の大御心が、これであろう。
利他主義の真髄は、自分の介在により対手(他人)が喜ぶ姿を見て、自身も幸福感に満たされることにある。他人を倖せに出来て、なおかつ自分も倖せになれるのだ。これほど素晴らしい思想はあるまい。西洋式個人主義を突き詰めれば利己主義に行き着く。即ち、他人の利益とは相反(対立)する。どうでもいいけど、「対立」の訓読み(大和言葉)は、件の小名木氏によると「ならびたつ」なのだとか。もともと「対立(音読み語義通り)」の概念自体が、我国には存在しなかったのだ。
グローバルスタンダード(国際標準)に立てば、利他主義は我国独特の思想だから、諸外国には理解され難い。国柄が真逆の特亜三国(中国・南北朝鮮)は、その典型であろう。彼らの「反日」を裏返せば、自分たちには無い“利他主義”を保つ日本人が羨ましくも怖いのである。しかし、解る人たちは解ってくれている。嘗て我国が統治していた台湾やパラオをはじめ、親日度の濃淡こそ違えど友好国のほうが断然多い。日本を悪しざまに罵る国家など特亜三国以外には皆無と言っても差し支えなかろう。それほど、中国、南北朝鮮が”異常”なのである。
韓国人のボクが「反日洗脳」から解放された理由
話し手WWUK(ウォーク)氏は韓国人。国外(オーストラリア)に出て自国の異常さに気付き、日本大好き人間に換骨奪胎したお一人である。親日家であることは認めても、悪いけど「日本精神」を理解しているとは思えない。”利他の心”が殆ど感じられないのだから仕方がない。
以前、【弱きを救け強きを挫く】のが日本とすれば、【強きを救け弱きを挫く】が特亜とする記事があった。多分、違いを強調するための単なる喩え話程度に受け止めていたが、両映像を視て日本とは真逆の社会なのだとの確信を得た。
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