クラシックレコードを購入するに当たり、最初に興味を覚えた指揮者は誰かと問われれば、それはブルーノ・ワルターである。選盤の参考資料として月刊誌『レコード藝術』を購読していた。昭和37年4月号だかにワルターの特集記事が出ていた。この年2月に85歳で他界したからだ。当誌はクラシックだけでなく、ポピュラー音楽も含めた洋楽盤紹介誌みたいなもので、付録に歌謡曲等邦楽を含む「新譜速報」があり、毎号愉しみにしていたことをよく憶えている。想い起せば30㎝LPが一枚二千円前後だった。大卒初任月給凡そ一万円の時代である。まだ子供(中三)だったし、小遣い銭貯めて年間一枚買えるかどうか。買えないまでも、雑誌を読み、レコード店を巡って欲しい盤を見付けるだけで胸が高鳴った。
当時は、19世紀生まれで戦前から知られたP・モントゥー、K・ベーム、H・クナッパーツブッシュ、L・ストコフスキー、C・シューリヒト、O・クレンペラーらが存命であったものの、A・トスカニーニ、W・フルトヴェングラー、W・メンゲルベルク、S・クーセヴィツキー、T・ビーチャム、V・ターリヒ、H・アーベントロート、E・クライバー(カルロスの父)、C・クラウスといった巨匠たちは、粗方他界していった。そこへワルターも仲間入りしたわけだ。ちょうど、H・V・カラヤンを筆頭とする戦後派との端境期だったのかもしれない。
ワルターの指揮振りは、愛情や歌に満ち溢れていると巷間伝えられている。もちろん、中学三年生の自分に演奏の違いが分かろうはずもない。喩えが悪いけど、天才にありがちな近寄り難さなど微塵もなく、並みの人間だけど音楽が好きなだけで指揮者になったような素人っぽさから人間味を知覚し、何故かファンになってしまった。ゆゑに、凡演も多々あるけれど、ツボに嵌ると超名演を遺している。
ワルターは、トスカニーニ、フルトヴェングラー、メンゲルベルク、クライバー、クラウスらと違ってステレオ時代まで存命であったため、アメリカに渡って数多のステレオ再録音を行っているのは幸いである。しかし、歴史的名盤となると、戦前のSP盤に尽きる。ワルターの心温まる芸風は、甘美なウィーンフィルと相性がよい。モーツァルトやシューベルト、ベートーベンもいいが、グスタフ・マーラーと親交があったことから、マーラーの演奏に止めを刺す。
マーラーの死後、『第九』や『大地の歌』を初演している。だからと言うわけでもないが、『第九』(1938年ライブ)は別格的超名演である。また同年、『第五』アダージェットのみの半端な録音もある。これも、違った意味で夢のような美演である。ナチスドイツ政権下、ともにユダヤ系であるワルター指揮のマーラー演奏が録音されたというのが奇跡なら、演奏も歴史的遺産と言って過言ではなかろう。戦後のステレオ再録音もあるが、音質がよいと言うだけで肝腎のこの世とも思えぬ尋常ならざる緊張感が抜け落ちているのは致し方なかろう。
マーラー『交響曲第九番』
by ワルター指揮ウィーンフィル(1938年ライブ録音)
マーラー『交響曲第五番』より”アダージェット”
by ワルター指揮ウィーンフィル(1938年録音)
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