前稿で「韓国ネタ」のコメント欄に注目したが、今度はコメント欄を巡る悪しき風潮を採り上げよう。
ネットの「韓国ネタ」はもはや娯楽か
「嫌韓」から「嗤韓」へ
8/19(月) 16:00配信;「NEWSポスト」より
ネットでは、何かを揶揄することが一種の娯楽になっており、揶揄の対象はその時々で移り変わっていく。その風潮の中で「韓国」は常にネタとして消費され続ける対象になっている。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が、「嫌韓」から始まる韓国関連の話題のネットでの盛り上がり方の変遷について解説する。
IT(情報技術)の発達により、新聞・雑誌やテレビ(趣味としてのTV録画は別)を読んだり視たりしなくなった代わりに、主としてインターネットで情報を集める時代となった。これはどういうことかというと、情報不足の昔とは逆で、情報が氾濫しているがゆゑに真贋の見極めが却って難しくなったことに他ならない。
特にコメント欄は秘匿性が高いから無責任なのも多いのは自明の事実で、玉石混合と言ってよい。前稿では「玉」のほうを採り上げたが、本稿は「石」のほうを話題にしてみる。
結論から先に書くと、韓国の「反日」も日本の「嫌韓」も似た者同士。どちらもよろしからざる態度であることに変わりはない。要するに「アンチジャパン」「アンチコリア」という点が共通しているからだ。【アンチ(anti)】という接頭語は”反対”を意味する。つまり、反対する対象がなければ成立し得ない。事案が異なるものの、昔も万年野党(社会党・共産党など左翼政党)のことを「何でも反対党」と揶揄する連中が居た。「揶揄」は嘲弄とほぼ同義、相手をバカにした態度を意味する。その結果、どうなったか。揶揄の対象だった村山社会党政権を誕生させ、その後も一時期にせよ左翼支配を許して数多の災厄を招来したではないか。“天に唾する(相手を侮る)”とこういうことになる。
ところで、件のコメント欄に福沢諭吉の名が登場していた。もちろん、日本人のコメントだから、肯定的なコメントなのだが。どうやら諭吉の執筆とされる『脱亜論』(1885年)の評価を巡って日韓で食い違いがあるとか。福沢諭吉と言えば、大分県(中津藩)の偉人で現行壱萬円札の肖像画にもなっている人物である。生地ではないものの小中学時代を過ごした郷土の偉人を悪しざまに言われるのは心外だ。
自説ながら『脱亜論』の主意は、当時の西洋列強に伍すべく西洋通の諭吉が文明開化(近代化)を促すために書かれたものであって、“アジアから脱け出す”といってもアジア諸国民を蔑視した言説では断じてない。しかも、諭吉だけでなく、他者の筆に為る部分もあるとか。ところが、韓国では時代によって歴史上の人物や事件の評価がコロコロ変わる。それも大なり小なり日本言論界の論説に起因しているのだから「反日」国家たる所以もここにある。現代韓国社会での福沢諭吉は、西洋に迎合した侵略主義者でアジア蔑視論者というレッテル貼りが為されているようだ。
確認のため、改めて『学問のすすめ』を読み返してみた。諭吉の説く「学問」とは教養としてより実用学を指している。有名な冒頭【天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず】の一節だけ切り取れば、左翼的平等主義者と捉えることもできよう。だが趣意は後述にある気がする。
学問をするには分限を知ること肝要なり。人の天然生まれつきは、繋がれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、ただ自由自在とのみ唱えて分限を知らざればわがまま放蕩に陥ること多し。すなわちその分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずしてわが一身の自由を達することなり。自由とわがままとの界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。譬えば自分の金銀を費やしてなすことなれば、たとい酒色に耽り放蕩を尽くすも自由自在なるべきに似たれども、けっして然らず、一人の放蕩は諸人の手本となり、ついに世間の風俗を乱りて人の教えに妨げをなすがゆえに、その費やすところの金銀はその人のものたりとも、その罪許すべからず。
また自由独立のことは人の一身にあるのみならず、一国の上にもあることなり。~中略~
しかるを支那人などのごとく、わが国よりほかに国なきごとく、外国の人を見ればひとくちに夷狄夷狄と唱え、四足にてあるく畜類のようにこれを賤しめこれを嫌い、自国の力をも計らずしてみだりに外国人を追い払わんとし、かえってその夷狄に窘しめらるるなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて言えば天然の自由を達せずしてわがまま放蕩に陥る者と言うべし。~中略~
およそ世の中に無知文盲の民ほど憐れむべくまた悪むべきものはあらず。智恵なきの極みは恥を知らざるに至り、己が無智をもって貧窮に陥り飢寒に迫るときは、己が身を罪せずしてみだりに傍の富める人を怨み、はなはだしきは徒党を結び強訴・一揆などとて乱暴に及ぶことあり。恥を知らざるとや言わん、法を恐れずとや言わん。天下の法度を頼みてその身の安全を保ち、その家の渡世をいたしながら、その頼むところのみを頼みて、己が私欲のためにはまたこれを破る、前後不都合の次第ならずや。あるいはたまたま身本慥かにして相応の身代ある者も、金銭を貯うることを知りて子孫を教うることを知らず。教えざる子孫なればその愚なるもまた怪しむに足らず。ついには遊惰放蕩に流れ、先祖の家督をも一朝の煙となす者少なからず。
かかる愚民を支配するにはとても道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威をもって畏すのみ。西洋の諺に「愚民の上に苛き政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。ゆえに今わが日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり。仮りに人民の徳義今日よりも衰えてなお無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、もしまた、人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風に赴くことあらば、政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。法の苛きと寛やかなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。人誰か苛政を好みて良政を悪む者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の常の情なり。今の世に生まれ報国の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思いを焦がすほどの心配あるにあらず。ただその大切なる目当ては、この人情に基づきてまず一身の行ないを正し、厚く学に志し、博く事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備えて、政府はその政を施すに易く、諸民はその支配を受けて苦しみなきよう、互いにその所を得てともに全国の太平を護らんとするの一事のみ。今余輩の勧むる学問ももっぱらこの一事をもって趣旨とせり。
コメント