昭和32年4月~昭和37年8月は、大分市に住んでいた。運輸省航空管制官だった父が、板付(福岡)空港から大分空港へ転勤になったためだ。大分空港開業(昭和32年4月)と符合する。今では国東半島へ移転したものの、当時は市内大津町(現大洲運動公園)にあった。戦後駐留米軍に徴用されていた海軍大分航空隊跡を急遽民生用に改修して開港したのだとか。したがって、海軍時代の掩体壕や弾薬庫が廃墟化したとは言え未だ残っていた。護国神社麓の戦後出来た市営住宅が我が住いで、海軍大本営地下壕跡地だから防空壕があり、壕内は夏涼しく冬暖かくて重宝したものだ。
観光名所旧跡の多い大分県ぢゃけんど、ご当地ソングとなると全国で知られた有名曲が意外や殆どないに等しい。
「大分紀行」 舞ひろ子
「大分慕情」 原小雪
「恋のマジカル大分県」 ゆっきー
「豊後巡礼」 松前ひろ子
「豊後の一心太助」 鳥羽一郎
「豊後漁師節」 明石麻莉
「豊後魂」 小野栄昭
「豊後夫婦みち」 姫野辰也
「豊後の女」 三島敏夫
「豊後水道」 川中美幸
「豊予海峡」 大月みやこ
「国東半島ぶらり旅」 佐良直美
「国東半島」 北島三郎
「国東半島」 松前ひろ子(同名異曲)
「国東慕情」 布施辰徳
「国東半島ぶらり旅」 大行寺みよ子
「別府音頭」 小唄勝太郎
「別府行進曲」 霧島昇
「別府航路」 西村妃都美
「別府湯けむり恋けむり」 三沢あけみ
「別府湯の町恋しぐれ」 加渡京子
「港たずねびと」 逢川まさき
「ひとりきり」 かぐや姫
「おおいた川」 東千晴
「霧の湯布院」 宮史郎
「由布院」 南こうせつ
「臼杵川を渡れば」 ひ・ま・わ・り
「坊がつる讃歌」 芹洋子
「男の港」 鳥羽一郎
以上《ウィキペディア》より
ここは、郷土の偉人瀧廉太郎の曲でお茶を濁すとしよう。
幼稚園唱歌『さよなら』
東くめ作詞/瀧廉太郎作曲
けふのけいこも すみました
みなつれだつて 帰りませう
あしたもまたまた ここにきて
けいこやあそびを いたしませう
先生ごきげんよう さようなら
子供の歌だから、児童合唱でないと雰囲気が伝わらないなぁ。当時、小学校低学年終業時の挨拶歌になっていた。自分は小四時転入だから歌わされなかったけど、元気の良い歌声が漏れ聞こえて来るので、何時の間にか覚えてしまった。
歌曲ではないけれど、瀧廉太郎の“白鳥の歌(=遺作)”も聴いてみよう。
ピアノ曲『憾み』(遺作)
“憾み(残念無念)”という作曲者の痛切な心情を伝えるこの演奏がベスト。
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