国民歌謡『愛国の花』(昭和12年)-福田正夫作詞/古関裕而作曲
by 渡邉はま子
真白き富士のけだかさを
こころの強い楯として
皇國につくす女(をみな)等は
輝く御代の山ざくら
地に咲き匂ふ國の花
老いたる若き諸共に
國難しのぐ冬の梅
か弱い力よく協(あ)はせ
銃後に励む凛々しさは
ゆかしく匂ふ國の花
勇士の後を雄々しくも
家をば子をば守りゆく
優しい母や、また妻は
まごころ燃える 紅椿
うれしく匂ふ國の花
御稜威(みいつ)のしるし菊の花
ゆたかに香る日の本の
女といへど生命がけ
こぞりて咲いて美しく
光りて匂ふ国の花
【理想の女性像】を花に喩えたかのような歌詞。「華」でなく「花」なのが日本的でよろしい。涙が出るほど好きだなぁこの歌。昭和17年には同名映画も作られている。実は、インドネシア初代大統領スカルノ(1901-1970)が熱烈に好んだとか。インドネシア語歌詞を付けて替え歌にまでしたらしい。天皇皇后両陛下が皇太子時代の1962年、インドネシア初訪問時の歓迎式典で披露されたという。
Bunga sakura indah berseri-seri
Dai Nippon Lah tumbuhnya
Sudahlah pasti
Bunga yang di puja-puja
Oleh rakyat Nippon
Melatidi Indonesia
Kita puja pula
Itulah satu tanda
Kita Asia
美しい桜が咲き誇る
まさに大日本がほめ愛でる花である
インドネシアもジャスミンをほめ愛でる
我らアジアが一つという証拠である
《ご参考》
インドネシア国歌【INDONESIA RAYA】
Indonesia, tanah airku
Tanah tumpah darahku
Di sanalah aku berdiri
Jadi pandu ibuku
Indonesia, kebangsaanku
Bangsa dan tanah airku
Marilah kita berseru
"Indonesia bersatu!"
Hiduplah tanahku, hiduplah neg'riku
Bangsaku, rakyatku, semuanya
Bangunlah jiwanya, bangunlah badannya
Untuk Indonesia Raya
Indonesia Raya, merdeka, merdeka!
Tanahku, negeriku yang kucinta
Indonesia Raya, merdeka, merdeka!
Hiduplah Indonesia Raya!
Indonesia Raya, merdeka, merdeka!
Tanahku, neg'riku yang kucinta
Indonesia Raya, merdeka, merdeka!
Hiduplah Indonesia Raya!
インドネシア,我が祖国
我等の生まれし故郷
我等は立ち上がる
この母国を守るために
インドネシアは我らのもの
我等の国のもの、我が故郷のもの
さあ、我等ともに叫ぼう
"インドネシアは一つ!"だと
我が祖国万歳、我らが地に万歳
国民、人民すべて
心も体も目覚めさせろ
偉大なるインドネシアのために
偉大なるインドネシア、独立、独立!
我が地、我らの愛する国
偉大なるインドネシア、独立、独立!
偉大なるインドネシア万歳!
偉大なるインドネシア、独立、独立!
我が地、我らの愛する国
偉大なるインドネシア、独立、独立!
偉大なるインドネシア万歳!
今はどうか知らないが、映像でわかるとおり、インドネシアが独立出来たのは、日本軍が宗主国オランダ軍を追い払ってくれたおかげだと信じられていたらしい。日本軍自体は敗戦したが、西洋列強からのアジア諸国独立運動を昂揚するきっかけとなったのは間違いない。幾多の日本兵が帰国せずに現地に留まり、独立運動を支援していたのも事実である。
余談ながら戦前、ベルリンフィル・コンサートマスターも勤めたヴァイオリニストのシモン・ゴールドベルク(現ポーランド生まれのユダヤ系米国人;1909-1993)は、アジア演奏旅行中、オランダ領ジャワ島で日本軍に捕まり、1945年まで抑留生活を送った、とされる。戦後は主にアメリカで活動していたが、何の因果か日本人ピアニスト山根美代子と結婚し、晩年は新日フィルの指揮者に就任するなど日本で音楽活動していた。最期は富山県で没している。
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