背番号【28】で真っ先に思い出すのが衣笠祥雄選手(広島)。惜しくも今年4月、お亡くなりに。背番号【3】として広島の永久欠番になっている。しかし、プロ入り(昭和40年)直後の10年間は【28】を背負い、守備位置も捕手でスタートしている。タフなプレー振りを背番号に引っ掛けて付いた渾名が「鉄人28号(横山光輝の人気漫画・TVアニメ)」、絶妙のネーミングだった。後の背番号変更により、渾名も「鉄人衣笠」に変わってしまった。
背番号【28】の系譜-ポジションは当該背番号時限定
01.野口正明(右投手)・・・1951-1954
02.田中久寿男(内外野手)・・・1955-1965
03.船田和英(遊撃手)・・・1966
04.宮寺勝利(捕手)・・・1967-1974
05.木原義隆(右投手)・・・1975-1976
06.徳山文宗(外野手)・・・1977-1980
07.岡村隆則(外野手)・・・1981-1988
08.高山郁夫(右投手)・・・1989-1990
09.竹下潤(左投手)・・・1992-2002
10.岡本篤志(右投手)・・・2004-2007
11.藤原良平(右投手)・・・2008-2018
12.森脇亮介(右投手)・・・2019
憶えているのは「01」「02」「03」「04」「07」「09」。ただし、実際のプレーを球場で観たことのある選手は田中選手だけかな。大型内野手の触れ込みで入団したものの、充実した先発野手陣の壁を破れず、5・6年ほど控え一塁手の座に甘んじていた。竹下投手の場合、出身高校の元野球部長と欧州旅行(1993年)で知り合い、同投手の話をさんざん聞かされてから。在籍12年で12勝12敗と印象に残る成績ではないが、今は西武球団のスカウトを勤めているらしい。
続く背番号【29】となれば、断然“円月打法”の杉山光平選手(南海)である。バットを揺らす打撃フォームが、眠狂四郎“円月殺法”を彷彿とさせることに因む命名だろう。平和台球場で幾度となく観戦しているが、勝負所でよく痛打された。ゆゑに、背番号との語呂合せで“憎(29)らしい選手”として強く印象に残っている。
背番号【29】の系譜-ポジションは当該背番号時限定
01.塚本悦郎(外野手)・・・1951-1956
02.井上忠行(一塁手)・・・1958-1959
03.荻孝雄(外野手)・・・1960-1961
04.田中勉(右投手)・・・1962-1967
05.竹之内雅史(三塁手)・・・1968
06.カール・ボレス(一塁手・外野手)・・・1969-1971
07.ホセ・ニコラス(外野手)・・・1971
08.豊田憲司(右投手)・・・1972-1973
09.楠城徹(捕手・外野手)・・・1974-1980
10.駒崎幸一(外野手)・・・1981-1987
11.タイラー・バン=バークレオ(指名打者・外野手)・・・1987-1990
12.レイ・ヤング(右投手)・・・1991-1992
13.杉山賢人(左投手)・・・1993-1999
14.平塚克洋(外野手・指名打者)・・・1999-2000
15.三井浩二(左投手)・・・2001-2009
16.山崎敏(左投手/当該背番号で一軍記録無し)・・・2010-2011
17.小石博孝(左投手)・・・2012-2019
知ってる名前は、「04」「05」「09」「11」「13」。けれども、球場で実際のプレーを観たことのある選手は皆無。田中投手は、黄昏期の西鉄を支えた主力投手の一人である。バークレオ選手は、米マイナーから入団した格安かつ真面目外国人としてよく知られている。一年間だけ広島に在籍したあと、米大リーグに復帰(エンゼルス、ロッキーズ)している。1997年に現役引退後は指導者としての道を歩み、2013年以降はインディアンズで打撃コーチを務めているらしい。背番号も西武時代の【29】をそのまま着用なのだとか。打撃コーチの背番号には相応しくないが、【29】によほどの愛着があるとみえて嬉しいじゃありませんか。
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