背番号【8】で真っ先に思い出すのは原辰徳(巨人)と有藤通世(ロッテ)の両選手。残念ながらライオンズの選手ではない。
背番号【8】の系譜
01.原田晃(内野手)・・・1951
02.ビリー・ワイヤット(遊撃手)・・・1952
03.北川信義(一軍出場無し)・・・1953
04.滝内弥瑞生(内野手)・・・1955-1963
05.茅野智行(遊撃手)・・・1964-1966
06.船田和英(内野手)・・・1967-1971
07.日野茂(遊撃・二・三塁手)・・・1972-1974
08.片岡新之介(捕手)・・・1975
09.山村善則(三塁手)・・・1976-1977
10.ウィリー・.デービス(外野手)・・・1978
11.行沢久隆(三・二塁・遊撃手)・・・1979-1987
12.鈴木健(三塁手・指名打者)・・・1988-2002
13.平尾博嗣(二塁手・指名打者)・・・2003-2012
14.渡辺直人(内野手)・・・1913-2017
15.金子侑司(外野手)・・・2018
記憶にあるのは、「04」「06」「11」「12」のたった四人だけ。なお、07.日野選手は我が母校(県立船橋高)の三期先輩に当たる。ただし、私奴の入学(昭和38年)時には卒業済のこととて、まったく面識はない。しかも、千葉高(千葉市)、東葛飾高(柏市)とともに“県内御三家”と称される進学校ゆゑ、甲子園出場暦は皆無。惜しかったのは我が入学の前年(昭和37年)、つまり多分唯一の母校出身プロ野球プレーヤーであろう日野選手らを擁するチームが、東関東(千葉・茨城)代表決定大会まで駒を進めたものの、あと一歩届かず涙を飲んだ。これが母校球史の最高成績である。因みにこの年の代表は、後に谷沢・掛布らを送り出す兄弟校の習志野高校(甲子園初出場)であった。
続いて背番号【9】。
背番号【9】の系譜
01.長谷川善三(遊撃手)・・・1951
02.河野昭修(一塁手)・・・1953-1959
03.城戸則文(三塁手)・・・1960-1966
04.河野旭輝(遊撃手)・・・1967
05.荒武康博(一塁手)・・・1968-1971
06.阿部良男(外野手)・・・1972-1973
07.藤井栄治(一塁手・指名打者)・・・1974-1976
08.長谷川一夫(外野手・指名打者)・・・1977-1981
09.大石友好(捕手)・・・1982-1984
10.清家政和(遊撃・二・三塁手)・・・1987-1990
11.奈良原浩(遊撃・二塁手)・・・1991-1995
12.安藤真児(外野手)・・・1997
13.赤田将吾(外野手)・・・1999-2009
14.阿部真宏(一・二塁手)・・・2010-2012
15.大崎雄太朗(外野手・指名打者)・・・2013-2017
16.木村文紀(外野手)・・・2018
こちらは、「02」「03」「09」「10」「11」「13」を憶えている。河野姓は二人いるが、知ってるのは地元福岡の進学校修猷館高出身で球団生え抜きの昭修選手。プレーヤーとしては阪急から移籍してきた旭輝選手のほうが有名。長谷川姓も二人いて、映画俳優みたいな名前を持つ選手もいるけれど、両方とも記憶にない。
急に思い出したけど、子供時分、ロッテ(球団を保つ以前の話)だかハリスだかのチウインガムにプロ野球選手の写真付カードが入っていた。全てを揃えると、エポック社の野球盤が貰える仕組み。12球団108枚を全部集めるわけだから容易でない。当時1箇5円だったと思うけど、莫大な投資を行った結果、つひに蒐集成功、野球盤を獲得せしめたことがある。今では遠い昔の想い出である。
そのときの西鉄球団は、稲尾和久(投手)、和田博実(捕手)、河野昭修(一塁手)、仰木彬(二塁手)、中西太(三塁手)、豊田泰光(遊撃手)、関口清治(左翼手)、高倉照幸(中堅手)、玉造陽二(右翼手)だったと思う。当時の選手をよく憶えているのは、このガムのおかげかもしれない。
《追伸》
調べたところ、母校出身者は日野選手を含めて三人いました。
式田信一選手(中日へ入団)・・・1956年卒業
日野茂選手(中日へ入団)・・・1963年卒業
早川大輔選手(オリックスへ入団)・・・1994年卒業
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