背番号【6】【7】は、我が西鉄にとって栄光の背番号である。即ち、中西太三塁手【6】、豊田泰光遊撃手【7】というわけ。高校卒業後プロ入り初年度から背負い、二人とも新人王に輝いている。投手ならともかく、高卒新人野手がいきなりチームの主軸を張るなど考えられない今日であるが、両選手に限らず昔は珍しくなかった。アマ・プロのレベルが拮抗していたのか、球界全体で人材難だったのか知らないが、公式記録にウソ偽りはない。
背番号【6】の系譜
01.上野義秋(外野・一塁手)・・・1951
02.中西太(三・一・二塁手・外野手)・・・1952-1969
03.菊川昭二郎(内野手)・・・1973-1974
04.白仁天(外野手)・・・1975-1976
05.鈴木治彦>葉留彦(一塁手・指名打者・外野手)・・・1977-1984
06.安部理(外野手・指名打者・一塁手)・・・1986
07.田辺徳雄(遊撃手・三・二・一塁手・指名打者)・・・1987-1999
08.原井和也(内野手)・・・2001-2002
09.後藤武敏(指名打者・内・外野手)・・・2003-2011
10.エステバン・ヘルマン(三塁手・指名打者)・・・2012-2013
11.コーディ・ランサム(三塁手・指名打者)・・・2014
12.アンソニー・セラテリ(外野・一塁手)・・・2015
13.竹原直隆(外野手・指名打者)・・・2016
14.源田壮亮(遊撃手)・・・2017-2018
知ってる選手は「02」「04」「05」「06」「07」「14」ということになる。ただし、球場で間近に観たことがあるのは中西選手だけ。中西選手の本塁打を三塁側内野席から観たことがある。内野手がジャンプして飛びつけそうな低い弾道で左翼席に突き刺さる。正に【弾丸ライナー】であった。一般の長距離打者(例;田淵幸一、中村剛也、山川穂高など)にありがちな高く舞い上がる弾道とは全く異なっていた。しかも、名前のように太った体型に似合わず、結構足も速かった。数字的な意味(実績)で、指導者(監督・コーチ)としての巷間評価は低いが、とにかく教えることが好きだったようで、数多くの強打者を育てている。
続いて背番号【7】。
背番号【7】の系譜
01.鬼頭政一(一・三塁手)・・・1951
02.八道勉(二塁・遊撃手)・・・1952
03.豊田泰光(遊撃手)・・・1953-1962
04.ジム・バーマ(二・一塁手)・・・1963-1967
05.浜村健史(遊撃手)・・・1968-1970
06.伊原春植(三塁手)・・・1971-1975
07.広瀬宰(遊撃・三・二塁手)・・・1976-1979
08.鴻野淳基(二・三塁・遊撃手)・・・1980
09.石毛宏典(遊撃手)・・・1981-1994
10.ダリン・ジャクソン(外野手)・・・1995-1996
11.松井稼頭央(遊撃手)・・・1997-2003
12.片岡易之(二塁手)・・・2005-2013
13.脇谷亮太(三・一・二塁手・外野手)・・・2014-2015
14.松井稼頭央(外野手・打撃コーチ兼任)・・・2018
こちらで知ってるのは、「01」「03」「04」「07」「09」「11(14)」。「06」も知ってるが、後年の監督・コーチになってからで、現役時代の記憶はない。このうち、球場で実際にプレーを観たのは豊田選手だけ。中西選手の一年後輩に当たり、打撃部門でのライバルのみならず、性格も対照的だったらしい。体型に似合わず気の小さい中西選手に対し、豊田選手は物怖じしない豪放磊落な性格だったとか。ズケズケ物言う豊田選手は周囲から煙たがられ、そのせいでもあるまいが中西監督・豊田助監督・稲尾投手コーチの20代トリオ西鉄を去り、国鉄に移籍している。コトの真相はともかく、現役引退後の指導者暦もなく、野球解説者としての道を歩んでいる。歯に衣着せぬ解説振りは溜飲が下がる思いがして痛快であった。まぁ、他人の思惑など気にせず好き勝手に放言できる放送界が水に合ってたのだろう。
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