本稿は、節目の1,000ポスト目にあたる。
逗留先マンションの直ぐ南隣が、サンティスクサ小中学校になっている。イスラム系の進学(「神学」ではない)校なのだとかで、チェンマイではそれなりに有名な学校らしい。滞在中の日課は、登校してくる児童生徒の喧噪に叩き起こされて始まる(午前7時過ぎ)。午前7時50分から朝礼開始。国旗掲揚・国歌斉唱に続き、先生方の訓辞もある。運動会の季節でもあるまいが、目下鼓笛隊を先頭に校内行進が行われている。水色組、赤色組に分かれて球技や綱引などの試合があったりする、昼食時にはイスラム高僧の有り難いお祈り放送が流される。終業時(午後3時頃)は、終礼など特別な儀式はないみたい。国旗も何時の間にか降納されてしまう。生徒に宿直当番があるのか知らないが、午後8時頃まで幾人かの嬌声が聞こえてくる。
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背番号【14】といえば、何と言っても沢村栄治投手(巨人の永久欠番)である。もちろん、その勇姿を直接観たことなどない。もう一人は谷沢健一一塁手(中日)。私奴とは同学年で、母校(高校)は隣同士、大学も学部こそ違え同門という間柄になる。ただし、こちらが一方的に知ってるだけで、先方に何の覚えもないことは言うまでもない。
背番号【14】の系譜
01.野本喜一郎(投手)・・・1951-1952
02.太田正男(投手)・・・1955
03.三竿徹(一塁手)・・・1956-1958
04.阿部八郎(投手)・・・1959
05.安部和春(投手)・・・1960-1965
06.本間勝(投手)・・・1966-1967
07.藤本和宏(投手)・・・1968
08.秋葉敬三(投手)・・・1969-1970
09.高橋明(投手)・・・1971-1972
10.高橋二三男(外野手)・・・1974-1975
11.五月女豊(投手)・・・1976-1981
12.木村広(投手)・・・1982
13.野口裕美(投手)・・・1983-1986
14.森博幸(外野手・背番号14時の出場記録なし)・・・1988
15.村岡耕一(内野手・指名打者)・・・1990-1991
16.中尾孝義(捕手・指名打者)・・・1992-1993
17.石井貴(投手)・・・1994-2001
18.小野寺力(投手)・・・2003-2010
19.江草仁貴(投手)・・・2011-2012
20.ホセ・オーティズ(一塁手・指名打者)・・・2012
21.増田達至(投手)・・・2013-2018
憶えているのは、「5」「9」「16」「17」ぐらいで意外に少ない。現役の増田投手も、名前は知っている。安部投手は1963年パ・リーグ優勝時のリリーフ・エース。“アベボール”なる独特の落ちる球で数多くのセーブ(制度自体が未だなかった)をあげていた。変わり種は下手投げの野本投手。現役引退後に郷里の埼玉県へ戻り、上尾高校、浦和学院など地元高校野球部監督を務め、何度も甲子園へ送り出している。自身が所属していた九州福岡の西鉄も、後に西武となって埼玉県へ来たわけだから、奇しき巡り合わせと言えよう。
続いて背番号【15】。
背番号【15】の系譜
01.木下勇(投手)・・・1951
02.河村久文(投手)・・・1953-1958
03.田中喜八郎(投手)・・・1959-1962
04.杉町攻(投手)・・・1964-1965
05.大熊伸行(投手・出場記録なし)・・・1966
06.清俊彦(投手)・・・1967
07.益田昭雄(投手)・・・1968-1970
08.田中章(投手)・・・1971-1975
09.野崎恒男(投手)・・・1976-1978
10.高木孝治(投手)・・・1978
11.松沼博久(投手)・・・1979-1990
12.長見賢司(投手・出場記録なし)・・・1991-1993
13.藤本修二(投手)・・・1994-1995
14.谷中真二(投手)・・・1997-2001
15.平尾博司(二塁手)・・・2001
16.大沼幸二(投手)・・・2002-2011
17.大石達也(投手)・・・2012-2018
こちらで憶えているのは、「02」「06」「11」ぐらい。河村投手は右横手投げ、ナマの投球を平和台球場で観ている。清(せい)投手は近鉄に移籍してからエース級の働きをした選手。松沼兄ヤンは、西武初年度の記念すべき新人投手。今では珍しい下手投げで、弱かった西武黎明期を支えた一人でもある。
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