昔の歌謡曲には、聴く者を郷愁に駆り立てる佳曲がたくさんあった。国産流行歌群を歌謡曲でなく欧米風にJ-POPSと横文字で呼ぶようになって久しいが、“惚れた腫れた”しかないワンパターン凡曲ばかりに成り下がっている。尤も、子供の頃眺めた故郷の山河や田畑は消え失せて一大ベッドタウンと化し、大家族から核家族(甚だしきは子女留学・単身赴任等で家族バラバラ)へと生活環境も移り変わってしまったのだから、何も歌のせいばかりではないけれど、つい八つ当たりしたくなる。なお、最新流行歌への興味が失せた時期(1975年頃)と凡曲オンパレード突入期は、おおむね符合する。それにしても不思議だなぁ、子供時分は三味線・尺八の日本調曲が大嫌いだったのに、今となっては妙に懐かしい。これも滅び行くモノへの愛惜の念なのか、まさに【ふるさとは遠きにありて思ふもの】ですね。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
そこへゆくと、タイのルークトゥン(日本の「歌謡曲」に相当)にあっては、“惚れた腫れた”だけではない郷土歌や生活歌(作業歌)が、数こそ少ないものの最新ヒットチャートに食い込む健闘ぶりを実感できる。下記に紹介する歌は2003年発売のもので最新曲ではないが、結構流行った歌である。美人人気歌手フォン・タナスーントン(当時28歳)さんが歌う聴き慣れた曲ということもあり、好きですねぇ。
หนึ่งกำลังใจ(一つの勇気づけ)-仏暦2546年(2003年)
- ฝน ธนสุนทร(フォン・タナスーントン)
อยากบอกให้รู้ว่ามีผู้หญิงคนหนึ่ง(一人の女性が居ることについてお話させてください)の歌い出しで始まる歌詞の大意は、一所懸命に生きる老若男女の姿に感動するとともに勇気づけられる、といった意味(だと思う)。聞きかじりの我流タイ語翻訳なので、間違ってたらゴメンナサイ。
ほぼ年二回毎年行くタイ国だけど、昨年10月、前国王陛下がお隠れあそばされたことにより目下現地は服喪中であり、歌舞音曲の類が自粛されているとか。ゆゑになかなか脚が向かない。それでも、無性に行きたくなってしまうなぁ。
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