第五部は、福江藩安里姫(小林由枝)らの要請に基づき、五島列島に巣喰う悪家老(安部徹)とその手先鐵羅漢玄龍(天津敏)一味の退治に向かう片道道中。第三部までなら各々丁寧に作られており、各話間のバラツキも少なく安心して視ていられる。しかし、第四部以降明らかに手を抜いたとしか思えない面白可笑しいだけの凡作・駄作が目立つようになる。人気番組ゆゑにこれを維持せんがため、視聴率を第一義とする「数字の奴隷」と化した結果、視聴率を獲れない「浪花節的」作品が次々と消えて行った。国民挙って金科玉条に頂く【戦後民主主義】の終着点であるポピュリズム(大衆迎合主義)に陥ってしまったのである。
バングラディッシュ・ダッカに於ける日航機ハイジャック事件(昭和52年)に際し、「人命は地球より重い」と述べてハイジャック犯日本赤軍派の言いなりになり、世界中の非難を浴びたのは福田赳夫首相(当時)だが、当番組も【民主主義】の矜恃なき悪弊を反映して「人命至上主義」的話が多くなる。私奴を含む戦後日本人が無批判に欧米文化を礼賛・模倣するあまり、先祖伝来の【命(いのち)より大切なもの】を失くしてしまったからに他ならない。
・第五部第4話諏訪「黄門さまのおまじない」(昭和49年4月22日放送)
監督;鎌田房夫、脚本;大西信行
ゲスト出演者;橋本功、稲垣美穂子、小林勝彦
主人が亡くなった際、疎まれていると誤解した大番頭が奉公人を引き連れ、真向かいで営業をはじめたため、後家女将(稲垣美穂子)と下男(橋本功)だけの名門旅籠は寂れるばかり。事情を知った黄門さまが、“千客万来”の看板を揮毫して復興させるお話。副題にある“おまじない”とは、看板に添えた「梅里(ばいり;光圀の別名)」の文字のこと。
・第五部第8話金沢「一寸の虫にも五分の魂」(昭和49年5月20日放送)
監督;荒井岱志、脚本;稲垣俊
ゲスト出演者;宇都宮雅代、毛利菊枝、溝口舜亮、西岡徳美
物語の本筋は、自身の婚礼当日、森誠一郎(溝口舜亮)が家老前田左京(北原義郎)の公金横領を諫言して斬り殺される。義憤を感じる友人川村多三郎(西岡徳美)だったが、文武ともに才能なきゆゑに何も出来ない。たまたま黄門さまの助言に勇気を得て敢然と不正に立ち向かい、黄門一行の助力もあって本願成就するというもの。だが、影の主役は、どこまでも忠義な森の母かね(毛利菊枝)と未婚の嫁(?)奥村志津(宇都宮雅代)の孝女ぶりにある。ポイントは、二人とも自分のことより、他者の身の上を気遣っているところ。
・第五部第15話岡山「黄門さまの鬼退治」(昭和49年7月8日放送)
監督;内出好吉、脚本;安藤日出男
ゲスト出演者;長田伸二、川口敦子、加藤武
「親子涙の対面物」の変種。“桃太郎の鬼退治”に準えて、桃太郎(長田伸二)の母親もも(川口敦子)を囲う悪代官稲川大膳(加藤武)を「鬼」に見立てた黄門さまの鬼退治。
・第五部第19話今治「親恋し娘巡礼」(昭和49年8月12日放送)
監督;内出好吉、脚本;加藤泰
ゲスト出演者;早川保、磯村みどり、戸川京子、川合伸旺
阿波の十郎兵衛(早川保)、お弓(磯村みどり)、お鶴(戸川京子)といった登場人物からお判りの如く、近松門左衛門の有名な『傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると)』を下敷きにした話。講談や浪曲(浪花節)にも転用された典型的な「浪花節的(泣かせる)」芝居である。もちろん、史実にはない舞台上の「作り話」に過ぎない。
お鶴役の戸川京子(1964生-2002没)さんは、初回放送時まだ9歳。だが、もう“この世”の人ではない。この「現実」を念頭に置いて次の台詞を聴くと、別の意味で涙を堪えきれなくなること必定である。
お弓「巡礼殿、それで父(とと)さま、母(かか)さまの名は?」
お鶴「父さまの名は阿波の十郎兵衛、母さまはお弓です。」
目の前の小母さんが自分の母親と判明して-
お鶴「母さま、見てください。
去年、お婆さまが“あの世”とやらに逝ってしまわれたその時に・・・。」
と言って懐中物(手紙と金五十両)を取り出す。しかし、お弓は涙のせいで手紙の文字が読めない。代わってお新(宮園純子)が代読、コトの真相(拝領刀紛失事件)が解明される。
物語のキモは、大博士に祭り上げられた黄門さまが、相談に来たお弓に告げようとした次の言葉。(途中で逃げ出したため、実際にお弓が耳にしたのはお新の口から)
もしも子があるときは、外道と気付いたその時から一刻も早く正しい道に戻る
勇気を持て。親とは、子にとって何よりも偉くて強く、正しいものなのだ。
そのために目的がダメになろうと身を滅ぼそうと、親には逃れられぬ宿命がある。
当番組中最高視聴率を誇るのは第十部(平均37.7%)とされるが、第六部以降、採り上げるに足る放送回は皆無に等しい。因って、今回を以て連載を打ち切ることとする。
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