貨幣を意識するようになったのは、何時頃だろう。就学前なら未だ銭勘定出来るはずもないから、少なくとも小学校入学(昭和29年)後であったろう。学校まで約二十町(≒2㎞)の道程を、バスか徒歩で通っていた。バスの場合、定期券を渡されていたが、期限が切れると親から一時的に現金(小児片道五円だったと思う)を持たされた。一円未満の補助通貨は既に廃止されていたものの、箪笥には何故か戦前の紙幣や硬貨なども隠されて(?)いた時代の話である。そんなわけで、見覚えのある懐かしき旧貨幣について書いてみたい。
☆ 旧硬貨 ☆
・五厘青銅貨(大正期造幣)
戦後生まれなので、一円未満の計算なんてしたことないが、1円=100銭=1000厘なのだとか。つまり、五厘硬貨二枚でやっと1銭、1円にするためには二百枚が必要となるわけ。ただし、もはや廃止されて久しいため、何万枚集めても通貨として遣えません。それより骨董的価値ならあるのかも。なお、大正期にしか造られていないので、私奴が実物を見て知ってる最古の硬貨ということになる。
・十銭ニッケル貨(昭和初期)
孔付硬貨は五円、五十円など「五」が付くイメージが強いが、昔は関係なかったみたい。
・五円黄銅貨(昭和23~昭和24年)
小学校低学年時分、たいへんお世話になりました。後年になって孔付デザインに変更されたけど、歴とした現行通貨なので今でもちゃんと遣えるらしい。
・五十円ニッケル貨(昭和30~33年)
最初の50円硬貨は孔なし且つ100円硬貨より大きかった。当時、500円硬貨は未だなかったけれど、それに匹敵するほどデカかった。
・百円銀貨(昭和32~33年)
最初の100円銀貨。当時、九州大分市在住だったため100円札が主流であり、この硬貨は滅多にお目にかかれなかった。デザインが古銭みたいで懐かしいなぁ。
・百円銀貨(昭和34~41年)
昔の100円硬貨は銀貨だったので結構重かった。今や白銅貨のため安っぽいうえ通貨としての【重み】が失せた感じ。まぁ、当時とは物価水準が違うから、100円硬貨自体の値打ちが下がって当然か。
・五百円白銅貨(昭和57年~63年)
コインとしては最も新しい単位だが、安価な韓国硬貨と酷似していたため自販機荒しに遣われ、早々に姿を変えてしまった曰く付き硬貨。
☆ 旧紙幣 ☆
・一円札(昭和18年発行昭和33年停止;現在も有効)
武内宿禰の紙幣とは、些か時代がかっている。、それもそのはず戦時中に発行されたもの。見たことはあるが、もちろん実際に遣ったことはない。
・一円札(昭和21年発行昭和33年停止;現在も有効)
実際に遣ったことがあるのはこちら二宮尊徳さんのほう。硬貨になって安っぽいイメージになったものの、一円札と言えども【“日本銀行券”としての重み】があった。
・五円札(昭和21年発行昭和30年停止:現在も有効)
国会議事堂の孔なし五円硬貨なら割りかし記憶も鮮明だけど、五円札はほとんど憶えてないなぁ。貨幣を手にする頃には早くも停止だったせいかも。戦後発行なのに、右書き出し且つ菊の御紋章入りで重厚感がある。
・十円札(昭和21年発行昭和30年停止;現在も有効)
小児期、おそらく最も手にする機会が多かった紙幣。図柄の国会議事堂は忘れるべくもない。しかし、右書き出しと菊の御紋章入りのことは気付かなかった。そんなことに関心が行く年齢でもなかったし・・・。
・五十円札(昭和26年発行昭和33年停止;現在も有効)
う~む、高橋是清の50円札など、思い出せないなぁ。菊の御紋章が消えて、書き出しも現行と同じ左からになってますね。
結論を書くと、インフレで貨幣価値が大幅に下がったとはいえ、昔の貨幣は重厚感がありますねぇ。そこへ行くと・・。いや、よしておこう。
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