先日、『琴姫七変化』(讀賣テレビ;昭和35年)のDVDが市販されているのを発見。比較的廉かったので、懐かしさもあって衝動買いしてしまった。もう半世紀(50年)以上も昔のドラマゆゑ、琴姫役松山容子以外の共演者やあらすじなどまったく憶えていない。ただ、亡父が愉しみにしていた番組の一つだったことは、記憶の片隅に残っている。
昭和35年(1960年)といえば、【'60年安保】が最大の出来事であった。個人的には、大分市に在って中学へ進学した年に当たる。在大分の民放TV局は、前年に開局したばかりの大分放送(OBS;JOGF-TV;KR-TV=TBS系列)しかなかった。つまり、一般論からするとTVネット系列の異なる讀賣テレビ(日テレ系)制作番組が放送されたはずはないのだが、唯一の民放局とて当時は東京キー局の日テレ系、フジ系、NET系(東京12Ch.は未開局)をも交えた総クロスネット編成だったと思う。
現に、当該番組の前作『(大村)崑ちゃんの頓馬天狗』を、確かにOBSで視ていた。他で言えば、『番頭はんと丁稚どん』(毎日放送=当時はNET系;昭和34年)、『変幻三日月丸』(フジ系;昭和34年)、『天馬天平』(フジ系;昭和35年)、『七色仮面』(NET系;昭和34年)など。反対に、TBS系でありながら放送されなかったのが『月光仮面』(昭和33年)と『まぼろし探偵』(昭和34年)。『豹の眼』(昭和34年)も、途中から放送されなくなったと記憶する。
すっかり話が逸れた。肝腎の出来栄え(視聴感)を書いておこう。今時のドラマといったい何処が違うのか? ひと言で片付ければ、底流にあるのが【浪花節(=日本特有の「義理と人情の世界」)】ということ。今にして思えば亡父が好んだ理由も、『水戸黄門』などこれ(浪花節的作風)があったからに他ならない。日本固有の文化だからといって殊更美化するつもりはないし当時は気にも留めなかったけれど、老境に入った今視ると不覚にもつい落涙してしまう。それは、決して悲劇性に富んでいるからではない。否、むしろ物語は意外なほど明朗快活そのもの。だのに何故? その答は【出来る出来ないは別にして、常にこうありたいと願うおのれの感情(=価値観・道徳観)と同じものだから】。そういう場面に接して心が揺さぶられ、共感や感動が涙腺を刺激するから涙を誘うのである。これぞ正しく【浪花節】であり、外国人には到底理解し難い日本特有の文化たる所以なのですよ。
映像技術こそ日々進歩しているおかげで、今日のドラマのほうが確かに見栄えがする。しかし、一方で「義理人情」全てを、まるで悪しき旧弊であるかの如く足蹴にした結果、どうなったか。グローバリズム(世界標準)に名を借りたアメリカニズムこそ普遍的価値と見誤り、猫も杓子も無批判に妄信するあまり新作ドラマ自体が画一化し、単なる虚仮威しの無国籍風無感動(=虚無的)な作風に成り下がってしまった。これでは視聴者が“ドラマ離れ”を起こすのも無理あるまい。
本題の「忘却せし歌」という意味では、この『琴姫七変化』の主題歌もその一つである。
琴姫道中~『琴姫七変化』主題歌~
by 花村菊江
YouTubeの曲名が『そよ風道中』となっているが、本篇クレジットでは『琴姫道中』とある。どうでもいいけど、ドラマの正式名称はてっきり「ことひめしちへんげ」だと思いきや、「ことひめ“ひち”へんげ」が正しいらしい。事実、花村菊江さんもそのように歌っている。漢数字「七」を「しち」「なな」以外に「ひち」と読ませる読み方があるとは、今回初めて知った。因みに現代北京語では[qi;チー]という読み方一つしかない。
主演の松山容子さんを調べてみたら、件の『変幻三日月丸』や『天馬天平』にも出演なさっていたのですね、知りませんでした。
『変幻三日月丸』(唄;大野一夫)、『天馬天平』(唄;鳴海日出夫)試聴サイト(↓)
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/DetailMulti?refSdCode=040000000KICW-5221&Action_id=111&Sza_id=B0
うわぁ、懐かしいなぁ。往年の本格的歌謡歌手が交じっているし、何れも映画・TVのオリジナルサントラ盤みたい。リアルタイムで視(観)ていた頃が甦る感じ。時代を遡るほど聴き憶えのある曲がズラリ。このCD、急に欲しくなったけど、もはや廃盤なのかも。。
《蛇足》 漢数字「七」の読み方考
思えば「七味唐辛子」は、「しちみとうがらし」と読むのが正解にも拘わらず、無意識のうちに自分は、つい「ひちみとうがらし」と訛って発音しているなぁ。試しにPCで「ひちみ」と打鍵しても漢字「七味」は変換候補に出て来ない。「しちみ」という読みしかないわけだから当たり前。人間と違ってPC(人工頭脳)は、全く融通が利かない。ときたま、火病って八つ当たりしたくなってしまう。
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