九州(福岡・大分)在住の幼少期、我家は西日本新聞だった。新聞を読み(というより「眺め」)始めた時期の記憶はないが、おそらく小学校へ入学(昭和29年)してからだろう。それまでは文字を教わってなかったので読めるはずがないではないか。小学校低学年のうちは、仮名文字ぐらいしか知らないし・・・。戦前生まれの大人たちが、依然として【歴史的仮名遣い】を用いてた頃の話である。従って現代仮名遣いになり廃止された「ゐ(ヰ)」や「ゑ(ヱ)」、それに変体仮名などは、未だ教わらない漢字と思い込んでいたほど。
新聞の四コマ漫画といえば『サザエさん』とばかり記憶に刷り込まれていたが、実は後付の誤った記憶であることが判明。この漫画が【福岡生まれ】と後年知って、勘違いしてしまったのだろう。事実関係を調べたところ、連載されたのが「西日本新聞」でなく「夕刊フクニチ」、それも昭和26年頃には「朝日新聞」朝刊に移っている。関東へ引っ越し(昭和37年)て朝日新聞に代わったから、新聞の『サザエさん』はこの時が初めてということになる。
それでも福岡在住(昭和32年3月まで)時から、確かに知ってたのはなぜだろう。そうそう、何時だったかクリスマスプレゼントとして、私奴用に『正チャンの冒険』、妹用に『サザエさん』、弟用に『ピーターパン』の単行本をサンタ(父)さんから贈られたのでした。
実写版『サザエさん』なら、言わずと知れた江利チエミ主演の東宝映画である。目下、BS255日本映画専門チャンネル(有料)にて毎月一篇ずつ、全10作が放送されている。おぉ、懐かしい。
01.サザエさん(昭和31年12月)
02.続サザエさん(昭和32年4月)
03.サザエさんの青春(昭和32年12月)
04.サザエさんの婚約旅行(昭和33年8月)
05.サザエさんの結婚(昭和34年1月)
06.サザエさんの新婚家庭(昭和34年8月)
07.サザエさんの脱線奥様(昭和34年12月)
08.サザエさんの赤ちゃん誕生(昭和35年2月)
09.サザエさんとエプロンおばさん(昭和35年12月)
10.福の神サザエさん一家(昭和36年3月)
同時上映作品から記憶を辿ると、劇場でリアルタイムに観たのは、第1作、第3作、第7作ぐらい。ところが、江利チエミの明朗快活な演技が原作漫画を超えており、映画『サザエさん』が先にあってこれを後に漫画化したのではないかと錯覚するほど。おのれの思い描く【ホームドラマ】の原型になっている。というのも公開当時、自分はカツオ(小畑やすし)やワカメ(松島トモ子)とほぼ同世代。ゆゑに彼らの目線を通して観ていたが、波平(藤原釜足)より年上になってしまった現在でも、年齢や性別に関係なく愉しめるからだ。マスオは小泉博、フネは清川虹子でなくてはならぬ。逆に江利チエミはサザエさん、小泉博はマスオさんのイメージが強すぎて他のドラマに出ていても、サザエさんとマスオさんが登場したような印象を受けてしまう。忘れていたけどテレビ版『サザエさん』(TBS系;昭和40年)も江利チエミ主演でした。マスオ役は川崎敬三。けれども、殆ど憶えていない。
一般に当時の映画は、時代劇や現代劇でも上流階級を中心とした我が実生活とは懸け離れた物語が多かった。その点この映画の場合、母方祖母と末娘の叔母(高校生)が同居してた我家と映画の磯野家とが生活環境といい、家族構成といい、よく似ていたのですよ。だから今観ると、おのれの当時の暮らしぶりが甦って頗る懐かしいのですよ。
関係ないけど江利チエミ、美空ひばり、雪村いづみは、“ジャンケン娘(元祖「三人娘」)”と呼ばれていた。3人とも昭和12年生まれという共通点があったからだ。【三人娘】【三羽烏】【御三家】【三国一】etc.。昔からこういった言い回しって、好きですねぇ。
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