前稿での予告に従って、国鉄(JR)を扱ったドラマについて書いてみよう。テレビ創成期はよく知らないが、国鉄物ドラマの先駆けは『JNR公安36号』(NET;昭和37年)ではなかろうか。昭和37年と言えば九州から寝台特急(後の“ブルートレイン”)『さくら』で関東へ引っ越してきた時期と重なる。後年『鉄道公安36号』と題名が変わったが、同じ放送局の刑事物『特別機動捜査隊』(NET;昭和36年)と並んでほぼ毎回視ていた。
国鉄物映画なら東映の専売特許(東映社長大川博が国鉄OBだった誼?)みたいに、『裸の太陽』(昭和33年)、『大いなる旅路』(昭和35年)、『大いなる邁進』(昭和35年)、『新幹線大爆破』(昭和50年)などが作られ、概ね学校推薦映画だったこともあり、このうち幾篇かは劇場で観た憶えがある。NHK朝のテレビ小説にも『旅路』(昭和42年)という国鉄物ドラマがあったし、日テレでも鉄道100周年記念番組『大いなる旅路』(昭和47年)が作られ、これもリアルタイムで視ていた。旅情を誘う小椋佳の主題歌『大いなる旅路』を気に入ってレコード(左画像)を買ったほどである。
大いなる旅路 by 小椋佳(昭和47年)
同系ドラマは西村京太郎『十津川警部シリーズ』を筆頭に根強い人気があるらしく、現在も各局競ってドラマ化しており、いろんな俳優によるいろんな【十津川警部】【亀井刑事】が各局入り乱れて再三再四登場する。再放送される都度、これらを録画して視ているが、殺人トリックの謎解きがメインであり、制作陣は凝ったつもりかもしれないが、通常では考えられない面妖なアリバイ工作が如何にも【作り話】的不自然な印象を拭えない。ゆゑに、旅情を誘う娯楽性に乏しく、毎回がっかりさせられる。
同じ『十津川警部シリーズ』では、どちらかと言えばテレ朝版『西村京太郎トラベルミステリー』(昭和56年~)を好む。とりわけ、初期の三橋達也(十津川)・愛川欽也(亀井)コンビが好い。前者は高橋英樹、後者が高田純次に役者が引き継がれるが、国鉄民営化(昭和62年)と相俟ってドラマ自体がますますつまらなくなって行く。尤も、民営化以後、赤字ローカル線や不採算の食堂車などが廃止され、飛行機に顧客を奪われて大方の寝台特急(ブルートレイン)も次々と姿を消してしまった。世はまさにスピード時代。これでは【旅情】もへちまもありませんですな
CS218東映チャンネルでは、その名もズバリ『鉄道公安官』(テレビ朝日;昭和54年)が再放送されているが、国鉄民営化以前のドラマであるものの、既に往年の国鉄物ドラマの耀きは失く、単なるドタバタ喜劇風の安易な作りが痛い。
ホームタウン急行 by サーカス(『鉄道公安官』主題歌)
蒸気機関車(SL)の時代には、水を補給し石炭を食べながら走る機関車自身に人間味があった。急勾配で苦しそうに喘ぐところなど、人間そのものといってよかった。そう言えば、新幹線でさえ初期の「ひかり」「こだま」時分は、【アンパンマン】みたいな風貌をしていたなぁ。冷暖房完備でスピード豊かな今時の新幹線の旅は快適でスマートかもしれないが、蒸気機関車の煤と汗に塗れて遠出の旅行をしていた時代が懐かしい。ところで、『JNR公安36号』のメディアは販売されていないのだろうか。
鉄道公安36号 オープニング&エンディング曲
《追伸》
こうして『鉄道公安36号』(昭和38年)→『大いなる旅路』(昭和47年)→『鉄道公安官』(昭和54年)と主題歌(曲)を聴き比べてみると、前二者と後者では曲感が大きく異なることがわかる。前二者に残る【旧き佳き日本】の薫りが、後者からは消え失せている。つまり、大袈裟に言えば、昭和50年頃を境に、日本の西洋化(はっきりいって精神的なアメリカ隷属)が深く根を下ろすのである。自分自身が流行歌にもテレビドラマにも興味を失くした時期と、奇しくも完全一致する。
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