前稿は何時の間にか国語の話になってしまい、書きたかった事柄を激しく逸脱してしまった。従い、本稿が所期の計画稿ということになる。
と、ここまで書いてまたまた横道に逸れてしまうが、国語(日本語)は便利な反面、なかなか複雑に出来ている。【本稿】には【1.もとになる原稿】と【2.この原稿】の二通りあって、ここでは後者の意味で書いた。言葉ならアクセント(1.語尾上がり、2.語尾下がり)で区別できるが、文字だと文章の前後関係で判断するしかない。日本語を母国語とする我々は、理屈を捏ねなくても身体に染みついた言語だから大方聞き違え(読み違え)ることはまずなかろう。しかし、外国人にとっては容易ならざる言語なのでしょうね。
現実に戦後連合国軍の占領下、自分たちの都合もあって難解な日本語をローマ字化しようと企図したGHQ政策が完全な失敗に終わったことは有名な話である。失敗したはずの愚民化政策だが、今や世界中(といっても東アジア限定だが)で大流行り。中国の漢字簡体化がその一例である。韓国でも学校教育に於いて漢字なしの総ハングル化したため、自分の名前さえ漢字で書けなくなっているらしい。我国はどうか。難解な漢字・語句を極力排した幼稚文面の流行、挙げ句はGHQの上を行く小学生への英語教育導入。こうあってはならぬ、と思うことばかり。
本題に戻ろう。なんと『3人家族』の主題歌レコード(写真)が出てきた。今となればアナログレコードを聴く機会はまずなく、すっかり忘却していたのである。何せちょうど半世紀(50年)も昔のことゆゑ、購入理由などまったく憶えていない。ドラマ自体は、昭和43年10月~昭和44年3月の放送。ところが、レコード盤発売が2年ほど遅れた昭和46年1月とある(註;再販盤でなく歴とした初版盤)。しかも、正式題名『3人家族』が『三人家族』と漢数字に置き換わるなど、何事にも大らかでのんびりした時代だったのですねぇ。
う~む、だんだん思い出してきたぞ。たぶん、B面『冬の雲』(TBS;昭和46年)主題歌~苦しき夢~が目当てで買ったのだ。あらすじなど全く記憶に残ってないが、この主題歌のほうがクラシック調でおのれの趣味に合致してたのですよ。
あれれ? この番組も木下惠介が関係してたんじゃありませんか。いったい幾つ放送枠を抱えていたのだろう。おぉ、そうだそうだ、この番組(人間の歌シリーズ)のスタートが、確か『冬の旅』(昭和45年)というシューベルトの歌曲集と同名のドラマだったなぁ。
さて、当時のTVドラマ主題歌はオリジナルサウンドトラック(OST)盤でなく、テレビと同じ歌手を起用してステレオ再録音するのが習わしであった。なぜか? 放送自体が概ねまだモノラル音声だったからである。テレビと同一音源でないため聴感が甚だ異なり、聴く側は大方がっかりしたものである。幸いこのレコードB面は、当時にしては珍しくTVサントラ盤になっており、モノラルながら芦田伸介の重厚なナレーションとともに重苦しいドラマの雰囲気がひしひしと伝わってくる。
肝腎のA面『3人家族』のほうだが、例によってステレオ再録音盤のため、残念ながらドラマの雰囲気など窺い知る由もない。テレビではあおい輝彦と瀬間千恵が交互に歌っており、どちらかといえば桐朋音大卒瀬間さんの本格的歌唱を好むが、なぜか瀬間盤はレコード化されてないようである。
このYouTube映像は親切ですね、TVサントラで瀬間さん歌声とステレオで再録音されたあおい盤の両方が聴ける。どうでもいいけど、半世紀(50年)という歳月は、住人の姿まですっかり変えてしまうのだなぁ。栗原小巻さんといえば、吉永小百合さんと並ぶ当時のトップ美人女優として成らした人。ところが今視ると、失礼ながらお二方とも典型的な【大根足】をなさってる。ミニスカート全盛期の頃だけに、余計にそれが目立つ。でも嫌いじゃありませんな、【大根足】。ウソや冗談で言うのじゃなく、それこそ【将来の母親】としての頼もしさを感じさせるのですよ。そこへ行くと昨今の若き女性は、すっかり西洋化してなるほどスタイル抜群かも知れないが、どうしても【将来の母親】には結びつかない。なぜなら、如何にも頼りな気だからである。
《女は弱し、然れど母親は強し。》とは、言い得て妙ではないか。
コメント