この年(昭和30年)の広島は4位。パ・リーグ阪急と同順位ながら、6球団のセ・リーグにあっては忽ちBクラスということ。当時定番の親会社(新聞社、私鉄・国鉄、映画会社等)を持たないため、万年資金難の貧乏弱小球団だった。しかし、そんなことに関係なく、ラジオ中国の野球中継が聴けたことから、セ・リーグでは何時の間にか広島ファンになっていた。テレビなど未だ自宅になかった時代、単にラヂオを聴いていただけに過ぎず、選手名は知ってても、観たこともない顔貌やユニフォーム姿など、想像だにできなかった。
守備 | 野 手 名 | 背番 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
二 | 金山 次郎 | 1 | .241 | 29 | 8 |
右 | 平山 智 | 3 | .238 | 42 | 7 |
一 | 白石 勝巳 | 30 | .258 | 29 | 8 |
中 | 小鶴 誠 | 15 | .285 | 67 | 18 |
捕 | 門前眞佐人 | 17 | .205 | 33 | 5 |
左 | 銭村 健四 | 7 | .215 | 26 | 3 |
遊 | 米山 祐昭 | 21 | .190 | 15 | 1 |
三 | 磯田 憲一 | 24 | .195 | 15 | 0 |
広岡 富夫 | 19 | .209 | 30 | 7 | |
長持 栄吉 | 8 | .287 | 27 | 1 | |
原田 信吉 | 9 | .222 | 10 | 0 | |
土屋 伍郎 | 12 | .233 | 9 | 2 | |
小谷 信雄 | 2 | .218 | 5 | 1 | |
藤井 弘 | 5 | .075 | 1 | 0 | |
三村 勲 | 4 | .186 | 1 | 1 | |
木下 強三 | 49 | .182. | 2 | 0 | |
投 手 名 | 背番 | 投球回 | 勝 敗 | 防御率 | 奪三振 |
長谷川良平 | 18 | 273.1 | 18-14 | 2.86 | 222 |
太田垣喜夫 | 14 | 212.2 | 15-11 | 2.20 | 124 |
松山 曻 | 23 | 235.2 | 17- 8 | 2.56 | 111 |
山田 清志 | 36 | 138.0 | 9- 8 | 2.54 | 79 |
片山 博 | 16 | 123.2 | 8- 3 | 2.18 | 52 |
高橋千年美 | 41 | 48.0 | 2- 2 | 4.31 | 15 |
望月 重勝 | 54 | 33.2 | 0- 4 | 5.35 | 15 |
渡辺 信義 | 20 | 17.1 | 0- 0 | 6.75 | 10 |
橋本 敬包 | 50 | 21.2 | 0- 1 | 4.98 | 6 |
ラヂオ中継を聴いてただけあって、流石に選手名は結構知っている。ただし、平山を除けば金山、白石、小鶴、門前と続く上位打線は、他チームから寄せ集めたオールドスター選手ばかりですな。しかも、白石は監督兼任ときたもんだ。新人だった地元広島出身藤井の初年度成績は惨憺たる結果だが、昭和30年代のカープを背負ってきたスラッガーには違いない。広島というチームは、歴代好投手が育つ。長谷川も太田垣(後の「備前」)もよく憶えている。ラヂオだったので背番号など記憶にないが、長谷川が「18」、太田垣が「14」だったんだ。「18」なら佐々岡真司と現役の前田健太、「14」は外木場義郎、津田恒実を想い出す。どうでもいいけど、今では永久欠番の「3(衣笠祥雄)」「8(山本浩二)」を着けた選手(平山・長持)が居て奇妙に映る。尤も衣笠選手の場合、入団直後の10年間着けていた「28」のほうが、渾名の【鉄人28号】と相俟って懐かしい。
*ご参考*
広島カープ選手名鑑(昭和32年)
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