初めて聴いた(視た)ストラヴィンスキー『春の祭典』は、シュトックハウゼンやジョン・ケージら当時の現代作曲家(=前衛音楽)と同列の範疇に置いていた。「音楽」というより喧しいだけの単なる騒音にしか聞こえなかったからだ。事実、ストラヴィンスキー自身も健在で、押しも押されぬ立派な音楽家(作曲家兼指揮者)として活躍中であった。今を去ること凡そ半世紀(50年)前、自分が高校生だった頃の話である。聴いた(視た)のは、確か小澤征爾指揮日本フィルハーモニーの演奏(フジテレビの番組)だったと記憶する。
ところが、現在はどうか。当然ながらアナログレコードは皆無だが、不思議なことにCDを六種五枚も所有している。同曲異演盤としては、大好きな三大B(バッハ、ベートーヴェン、ブラームス)やブルックナー、モーツァルト、シューベルトらを凌駕する数量である。
1.英テスタメント
イーゴル・マルケヴィッチ/フィルハーモニアO
・1951年モノラル録音
・1959年ステレオ録音
2.英デッカ
ピエール・モントゥー/パリ音楽院O
・1956年ステレオ録音
3.英デッカ
エルネスト・アンセルメ/スイスロマンドO
・1957年ステレオ録音
4.独ベルリンクラシックス
オトマール・スイトナー/シュターツカペレ・ドレスデン
・1964年ステレオ録音
5.米ロンドン
アンタル・ドラティ/デトロイトSO
・1981年デジタル録音
時の流れとともに嗜好が変わったこともあろうが、何度も聴くうちに知らず知らず耳が慣れてきて、ようやく「クラシック(古典音楽)」と呼べるようになったのかもしれない。もう一つ、抑揚の変化が激しい曲だけに、オーディオ機器を試すには最適の音楽でもある。アナログレコード時代の英デッカ盤は優秀録音で定評があり、それが目当てで自分の好みとは対極にあるアンセルメ盤(『春の祭典』ではない)を買っていたほど。
とにかく、ゼンハイザーのオーバーイヤー型ヘッドホン“モメンタム(MOMENTUM)”は素晴らしい。真空管ポタアンのフォステクス“HP-V1”を介すことにより更に真価を発揮する。つまり、まるで録音に立ち会うかのように、音が生々しくなるということ。カナル型イヤホンでは味わえない臨場感を醸し出す。
上記六種の演奏も、巧拙は別にして曲感を聴き分けることが可能。それによると、当時の印象に最も近いのがマルケヴィッチのモノラル録音盤。阿鼻叫喚のおどろおどろしさが凄まじい。初演者でもあるモントゥー盤は、さすがに狂喜乱舞の中にも音楽的な響きがする。アンセルメ盤は、本来の数学者らしく客観的であまり荒れ狂わずお行儀よい印象。
スイトナー盤は世評がよかったので買った部類だが、常識的な演奏としか思えず何処がよいのかさっぱりわからない。ドラティ盤は最初に買ったCD。しかし、この曲が自分にとっての「古典音楽」になってからの録音(唯一のデジタル)にも拘わらず、皮肉にも最初に聴いたときとは別の意味で「現代音楽」に戻ったかのよう。干からびた湿り気のない音といった印象しか残らない。それは無味乾燥を意味し、著しく人間味が失せた状態と言える。尤も、自分は太鼓の音が好きだから、打楽器の鳴り方がおのれの聴感を大きく左右していることは否めない。カナル型イヤホンでは聴き分け出来なかったことである。
“『春の祭典』といえばマルケヴィッチ”との評判を取っていた彼の来日公演が、YouTubeに挙がっている。さっそく聴いて(視て)みよう。
ストラヴィンスキー《春の祭典》
by イゴール・マルケヴィッチ/日本フィルハーモニー(1968年)
う~む。こんなに穏やかで大人しい演奏だったかなぁ。当時の映像に間違いなかろうから、自分の聴覚のほうが若い頃とは変わってしまったというわけか。
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