唐突な話だが、子供時分に慣れ親しんだ鉛筆の“ロゴマーク(商標)”が急に想い出された。三菱鉛筆がお馴染みのスリーダイアモンド、トンボ鉛筆は下向きトンボ、それに三角顔のコーリン鉛筆。近年、三角顔(コーリン鉛筆)を見かけないと思っていたら、倒産(1997年)してたんですね。ウィキペディアによると、倒産後もタイ国で生産されていた製品を逆輸入するなどして2009年には事業再開が成ったとか。しかし、右向き三角顔に馴染んだ者としては、タイ国の左向き商標には違和感を抱いてしまう。それでも、赤青2色の色鉛筆、懐かしいなぁ。
スリーダイアモンドは、三菱財閥系企業が挙って商標にしているので、むしろそれほど強い記憶がない。但しこの三菱鉛筆、そもそも三菱財閥には属していないらしい。そこへ行くとトンボ鉛筆は、一時プロ野球球団トンボ・ユニオンズを持っていたから、そのユニフォームからも商標に対して強い愛着があった。ところが、コーリン鉛筆の例じゃないけれど、こちらも下向きトンボから何時の間にか上向きトンボへ商標を変えてるんですね。下向きトンボで『お客様に深く頭を垂れる商の姿勢』を示そうとした創業者の思いは何処へ失せてしまったのだろう。何かにつけ西洋流を信奉して止まない奴隷根性丸出しの今日、“旧き佳き日本人の心”が蔑ろにされていくようで、他人事とはいえ気分のよかろうはずがない。どうでもいいけど、トンボの商品名はMONOなのに、球団がユニオンズだったから三菱UNI(ユニ)と混同してなんだかややこしい。
さて、クラシック(古典音楽)の話題を続けよう。学生時分の関心事はバッハとワグナー。ワグナーについては前稿で既に書いたし、バッハについてもこれまで幾度となく採り上げてきた。そもそもクラシックに興味を覚えたのは、中一時分(昭和35年)。音楽の授業でレコード鑑賞の時間があった。再生装置はいわゆる“電蓄”で、世はステレオ時代に入っていたにも拘わらず、教材レコードは戦前のSP盤乃至はLP盤だった。それで以て、シューベルトの「未完成交響曲」(確かワルター/ウィーンフィルのSP盤)の感想を問われ、『次々と泉が湧き出る感じ』と答えたところ、先生にたいそう褒められたのがきっかけ。
そんなわけで、一番最初に買ったLPレコードは、演奏者(オーマンディ/フィラデルフィア管)こそ違えど、《未完成/新世界》の腹合せだったことは言うまでもない。因みに授業で聴いた「新世界」は、ヴァーツラフ・ターリヒ/チェコフィルの1941年録音SP盤(だったと思う)。今ではそのCDも所有していて、低域豊かなどっしりとした演奏が何とも懐かしい。
音楽授業で耳にした曲は、SP盤が多かった。バッハのオルガン曲はシュヴァイツァーだったから、おのれの記憶の中では、高名な医師としてより音楽家のイメージが先行している。また、シューベルトの『魔王』は米国黒人歌手のマリアン・アンダーソン(Marian Anderson)が歌ったSP盤。確か、この人の黒人霊歌やフォスター曲も聴いたはず。おそらくドボルザーク(当時は“ドボルジャック”)『新世界』(当時は第5番)に関連して採り上げてくれたのだろう。教科書にはこの第二楽章が『家路』という曲名で載っていた。関係ないけど無批判な西洋信奉者のために書いておくが、米国を始めとする西洋諸国(含む;白豪主義のオーストラリア)では、まだ有色人種差別が公然と残っていた頃の話である。
バッハも主として器楽曲や管弦楽曲から入ったわけだが、カンタータ(交声曲)や宗教曲に関心が移ったのは、関東で暮らすようになった高校生時分。NHKラヂオ(FM試験放送)で、平日朝6時頃からバッハの教会カンタータを連続放送していた(解説;皆川達夫)。自分はもともと信者(クリスチャン)でもないから、カトリックだろうがプロテスタントだろうが、はたまた歌詞内容などどうでもよかった。しかし、信者でもないのに、なぜか心が洗われる気がしたのである。そして、聴きたいというよりむしろ演奏者の一員として参加したいと思わせる不思議な魅力があった。
記憶もおぼろげながら、オープニングテーマ曲は『カンタータ第100番BWV100』だったと思う。この曲を聴くと、なぜかその日の元気が湧いてくるんですよね。持ってるCDは、ずっと後年のリヒター盤(1977年録音)だから、これがテーマ曲音源ではあり得ない。YouTubeにアップされている中で、個人的に好きな演奏でお聴きください。
第19回ブダペスト・バッハ週間音楽祭開会演奏会
J.S.Bach Kantate BWV100 "Was Gott tut, das ist wohlgetan"
by Weiner-Szász Orchestra
Lutheránia Choir
Conductor: Kamp Salamon
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