何かにつけ、『鬼平犯科帳』ばかりを話題にして申し訳ない。個人的に拘りがあるので、勝手に書かせていただく。
四種の『鬼平犯科帳』を自分なりに分析してみよう。オリジナルの松本幸四郎版(昭和44~47年)は、原作者の池波正太郎が当人をモデルに連載したそうだから、私奴が期待する鬼平像にピッタリ。ただし、原作の鬼平より20歳も年長であったらしい。その分、恰幅のいい貫禄十分な鬼平である。厳格な身分制度が垣間見えるし、現代とは異なる伝統的な立ち居振る舞いが、映像から読み取れて面白い。
各話の流れは火盗改方の役務が主で、妻久栄(淡島千景→風見章子)等との寛いだ私的場面はあまり描かれない。佐嶋忠介(黒川弥太郎)、天野甚蔵(平田昭彦)ら組織上層部与力もあまり登場せず、専ら酒井祐助(竜崎勝)や道化役木村忠吾(古今亭志ん朝)らの同心がほとんど。密偵も伊三次(堺左千夫)が屡々顔を出す程度で、粂八(牟田悌三→寺尾聰)もおまさ(冨士真奈美)もまず出てこない。大滝の五郎蔵(新田昌玄)に至っては、一回限りのゲスト扱い。
つまり、毎回登場するのは主人公の鬼平だけで、リメイク版では準レギュラー扱いされている妻久栄、与力・同心、密偵たちと雖も、物語に必要な放送回しか登場しない。後年の鬼平根城(?)の軍鶏鍋屋「五鐵」も、三次(江戸家猫八)が事件に絡む放送回しか出てこない。
続く二代目鬼平丹波哲郎版(昭和50年)の場合、一クール(全26話)のみなれど、主な登場人物の出演頻度は他のリメイク版に近く、準レギュラー扱い。オリジナル版の俳優や作風を踏襲しつつも、ややくだけた鬼平が観られる。コミカルな物語ばかりを集めたのではないか、と勘ぐりたくなるほど喜劇調が多い。
三代目鬼平萬屋錦之介版(昭和55~57年)は、名にし負う時代劇の名優だけに、鬼平というより“錦ちゃん”を視ている思いがしてしまう。内容的には、前作から一転して強面の鬼平を観ることが出来る。
四代目鬼平中村吉右衛門版(平成元年~)は、まさに現代(日本国憲法下)の鬼平である。そこに身分の格差はないし性差別・職業差別も存在しない。昭和期の前三代とはまったく趣を異にする。放送コードの制約もあってか、感動に乏しい微温湯的作風に変質してしまった。
さて、個人的な独断と偏見で好きな単篇を挙げてみる。どちらかといえば暗く悲しい物語は苦手で、明るくコミカルなほうが好み。それに適うかどうかは別にして、新藤兼人脚本、吉村公三郎監督のコンビによる作品は概して好い。オリジナル版でいえば『女掏摸(めんびき)お富』、『お雪の乳房』、『艶婦の毒』がそれ。いずれも物語の主人公が女であるところが興味深い。
とりわけ『女掏摸お富』を気に入ってる。丹波版にはなく、萬屋版(安藤日出男脚本)と中村版(安藤日出男脚本、高瀬昌弘監督)でリメイクされている。お富役が宇都宮雅代→上村香子→坂口良子と替わるが、女優よりも脚本・監督ら制作スタッフによる演出のほうに関心がある。
結論から言うと、オリジナル(松本)版>中村版>萬屋版という序列になろうか。物語のキモは終結部。鬼平の役割は、単に盗人を捕らえるに非ず更生させることにあり、とばかりにお富の簪を逆手にとって彼女の右手指を刺し、二度と悪さできないようにするのがオリジナル版。モノクロ映像がただならぬ雰囲気を助長する。女の象徴である簪を更生の道具に使うところがミソ。同じ更生のさせ方でも中村版は、鬼平が自らの刀でお富の右手指を斬りつけ、悪事に使えないようにする。萬屋版での鬼平は何もせず、お富が牢送りになることを暗示するだけ。
更生のさせ方という意味では『市松小僧(始末)』のほうが凄い。これも丹波版にはないし中村版も未見だが、小男と大女のノミの夫婦の物語。亭主市松小僧(柴田侊彦・山田隆夫)のスリ癖再発に苦慮した女房おまゆ(川口小枝・高瀬春菜)は、懇意の鬼平に助命を嘆願し一旦は聞き入れられる。が、夫婦の問題は自ら解決すると思い立ったおまゆは、鬼平の居る前で台所の鉈を持ち出し、亭主の右手指を切断してしまうというもの。オリジナル版はモノクロ映像と相俟って鬼気迫る緊張感で優るが、凸凹コンビという意味では、萬屋版のほうが喜劇性に富んでいて面白い。
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