本日の昼餉は、チェンマイランドにある「北門」にて、鯖ステーキセット(160฿)を喫食。此処の鯖は脂が乗ってて美味しい。御飯と味噌汁の他には、野菜炒め、ミニとんかつ、茶碗蒸し、キムチまで付いてくる(冷茶はサービス)。これで僅か500円なのだから嬉しい。
さて、退職して新聞の購読を止めて以来、この分野とは縁遠くなってしまったが、此処「北門」には讀賣新聞国際(東南アジア)版が置いてある。食膳が出て来るまで手持ちぶさたなので、ざっと目を通してみた。すると、中韓と比較して我が国の文化施策が大きく遅れているとし、それを嘆くような記事が、国際面の特集にあって目を引いた。
日本語・中国語・韓国語の海外普及に関する記事なのだが、その唯一の根拠が海外語学校数(生徒数)の多寡だけ、というのだからお粗末である。何をオタオタするのかと不審を抱きつつ読み終えてわかったことは、記者の作為か無知かは知らないが、それぞれの国体(国柄)が全く考慮されていない。だから、何も「遅れてない」のにさも「遅れている」かのような、正反対のとんでもない結論になってしまう。
「国体」とは些かオーバーかも知れぬが、国策を論点にするのであれば、そこに横たわる国家意思(意図)を注意深く読まねば意味がない。つまり、何の目的があって海外に自国語学校を増やすのか、ということ。《海外で自国文化を知ってもらうには、まず自国語の普及》などと記事にあった。しかし、記者が本気で『中韓も日本と同じ』と思い込んで書いたとしたら、彼國の実情知らずも甚だしい、と言わざるを得ない。
完全利益社会(ゲゼルシャフト)化した中韓の目的(狙い)と共同社会(ゲマインシャフト)の色彩を残す我が日本のそれとは、まるで正反対と言っていい。他国を悪く言いたかないが、中韓が飽くまで自国の軍事的経済的地位的優位性を誇示したいがための覇権主義的発想に基づくとすれば、我が国策では自国よりも多分に当該国の発展のために行っている。そもそも出発点が真逆なのだから、同列に扱うこと自体が無理というもの。それともこの記者、日本も中韓並みに覇権主義国家になれ、と言いたかったのだろか。おぉ、やだやだ。
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