《前稿の続き》
13.中国人は口にしたことを必ずやるとは限らない。日本人は言ったことを実行に移す。
なぜかを考えたとき、社会構造が関係しているように思う。究極の利己主義的利益社会(ゲゼルシャフト)である中国と、利益社会化する中にも共同社会(ゲマインシャフト)的色彩を留めた日本との違いだろう。
【人間、一人では生きて行けない。】という「諦観」が、日本人にはある。ゆゑに集団からはぐれないようにし、他人にどう観られているかを人一倍気にする。盗みや悪事を働く者に対して【神仏や他人が観てなくとも、自分が観ているではないか。】との戒めがあるほどだ。現代日本人は圧倒的多数が無宗教にも拘わらず、自らを律する比較的高度な素養が身に付いた所以である。
「屈服統治」の中国と「悦服統治」の日本では、歴史が違いすぎる。日中共通の師である孔子様の教えにしても、支那(中国)にとっては乱れた天下を正すためであったかもしれないが、日本にとっては自分たちが既に実践していたことだから、抵抗なく受容れられたのだろう。
14.縁日などの中国民俗文化は文革で事実上途絶えたが、日本人は伝統を重視しており今もさまざまな名勝古跡や文物を見ることができる。
このことも、歴史的経緯に起因していよう。【中国四千年の歴史】というのは、真っ赤なウソ。易姓革命を繰り返す中国では、前王朝を全否定することで自らの権威付けを図ろうとする。前王朝(権力者)と次の王朝とでは「国家」そのものが違う“別の国”なのである。つまり、権力者が替わる毎に“以前の国”は滅亡して歴史が途絶えたことと同じ。因みに現代中国は1949年の建国だから、実はたったの65年しか歴史がないのですよ。私奴より年下のくせして、若造がサバ読むにもほどがある。
そこへいくと我が日本は、万世一系の天皇を戴き、神代の昔から現代に至るまで、歴史も伝統文化も一貫して繋がっているのである。
15.中国人は強敵を蔑み、弱い敵をバカにする。日本人は強敵をリスペクト(尊敬)し、弱い敵を憐れむ。
来月、ブラジルでW杯サッカーが行われる。その組み合わせ抽選会の際、それぞれのお国柄が出ているようで面白かった。高校野球でもそうだが、日本人は得てして強敵と対戦したがる。負けてもともと、だからか。逆に弱敵を嫌がる。勝って当たり前、負けたら赤っ恥を掻くことになるからだ。
中国にW杯の出場権はないが、その舎弟(?)である韓国が日本とは好対照。スレ主が例示した中国人と同じ反応を示したのが興味深い。忘れ去られつつあるとはいえ、日本には『武士道』があり、西洋には『騎士道』がある。しかし、それと比肩すべき規範が、中韓にはない。あるのはルサンチマンから来る『奴隷道徳』だけである。これが、韓国では【恨(はん)の文化】を生むに至っている。
16.中国人にとって地位の高さは権力、特権、名誉を意味するが、日本人にとっての地位は責任を意味する。
このスレ主は、なかなか巧いことを言いますね。思わずニンマリしてしまった。自分もそうだが、日本人は何事にも出しゃばることを嫌がる。他人に推されて渋々引き受けるのが一般的なパターン。それは、高位に就いたときの挨拶に顕れる。【図らずもこの度、代表の重責を拝命致しました○○です。未熟ではありますが、粉骨砕身努力して参りますので、どうかよろしくお願い致します。】
外見を飾ってまで自分を大きく見せたがる中国社会とあっては、目先の利益しか頭にないのは致し方あるまい。
17.中国人は口では民族の大義を叫ぶが、それは私利私欲を実現するためだ。日本人は全ての出発点が国や民族の最高利益だ。
必ずしもそうとまで言い切れないと思うが、公益を考える比率なら中国よりも日本のほうが高率であろうことは、容易に想像できる。誰かが言ってたけど、《中国人には「愛国心」がない》のだそう。なぜか? そりゃそうでしょう、戦争になれば指揮官が真っ先に逃げ出すし、政府(中国共産党)幹部は国外に蓄財しつつ子女を海外留学させているのだから。かくも私利私欲に満ちた国家であることを指導層自ら率先してやってのけたのでは、中国人民の誰が信用なんかするものですか。
18.ある事柄に対して、中国人は延々妄想するのに対して、日本人はその中から啓発を得る。
項目の趣意がはっきりしないが、他人に促されるまでもなく、日本人には何事かを学びとろうとする姿勢があるということなら、そのとおりかもしれない。
19.中国人は大雑把で、本や広告などにはみんな誤字がある。日本人は精緻であり、時代劇の服装やマナー、言葉までみな歴史学者による考証を行う。
世界の大勢から観ると、日本人の精緻さのほうがレアなケースであって、中国に限らず何処の国も概ねいい加減で大雑把な気がする。誤字だらけ(ちょっと、言い過ぎかな)だし、それを改めようともしない。
これに対し、別のネットユーザーからは「日本人の特性の多くは、中国人が失った中華伝統を受け継いだものだ」「日本に学べ!」といったコメントが寄せられている。
これは違うな。“中国人が失った”って、もともと具備なんかしてなかったのですよ。“中華伝統”というのも、その王朝限りの伝統にすぎない。孔孟の教えも、中国では乱れた天下国家を治めるために必要だったのだが、そんな教えがあろうがなかろうが、日本では既に実践していた規範を纏めた書物にすぎなかったから、何らの抵抗もなく受容れられたのである。
をはり。
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