《前稿の続き》
6.中国人は成り上がりや下剋上の話を好むが、日本人は「血は争えない」と認識している。世襲議員の存在が最たる例だ。
拝金主義国家の中国らしい観方。良かれ悪しかれ、我々には「諦観」からくる《分相応》という言葉がある。
7.中国人は肩書を重んじ、偉い人を美辞麗句で飾りつける。日本人は虚名に興味を持たず天皇のおくり名もシンプルだ。
何事も中身(人間性)よりも外見(地位・財産)で判断する「虚構の国」とはわけが違う。我が国の場合、外見でなく中身が問われる。
8.中国人は喜劇やハッピーエンドを好む。日本人は昔から悲劇を好む。
当たってるかどうかは別にして、喜劇悲劇の嗜好と実生活とは真逆になってはいまいか。つまり、喜劇を求めるのは、現実が笑えない日々だからこそ。悲劇を好むのは、笑いのある日常とは違って偶には涙を流してみたくなる、からではなかろうか。深読みしすぎかなぁ。
9.中国のドラマは正義と悪が決まっていて、最後に笑うのは正義だ。日本には「悪役」という言葉があるものの、正義と悪がはっきりせず、見る者が判断することになる。
「善人」と「悪人」に分けること自体が間違い。人間誰しも善いことをすれば悪いこともする。なのに、根っからの「善人」「悪人」など居るはずがないと考えるのは、世界広しと雖もファジー(曖昧)な国の住人である日本人だけ。神仏ならまだしも、秋(とき)の為政者や英雄を無批判に崇める国々は誤謬も甚だしい、と言わざるを得ない。
10.中国人は病死が最高の死に方だと思っている。日本人は桜のごとく潔く戦死するか自害するかを崇拝し、慢性病と長く付き合ったうえに死ぬことを嫌う。
「死生観」の違い。とかく“死んで名を残す”“生き恥を晒したくない”などと考えて死に急ぐ日本人は、世界の稀少民族である。先の大戦で、米軍が「特攻隊」に恐怖したのも無理はない。死を欲する軍隊と干戈を交えようとは、夢想だにしてなかっただろうから。
余談になるが、丹波版『鬼平犯科帳』第24話(昭和50年)に、小心者で剣術もまるでダメな勘定役同心が、妻の仇である無頼の剣客を討ち倒すシーンが出て来る。内心は返り討ちに遭って妻の後を追いたかったのだ。ところが、大刀を捨てて迫り寄る相手に動揺した仇敵は、一瞬怯む。その隙を突いて小刀を抜き、仇を討ち果たすというもの。
11.中国ドラマのテーマは「正義が勝つ」だ。日本映画のテーマは人と人との感情的な葛藤だ。
そうかなぁ。ただ言えることは、中国に限らず諸外国のドラマは、「善人」でなければ「悪人」といった具合に何事も二者択一的であり、黒白がはっきりしすぎる嫌いがある。その当否については、既に「9」で書いたので繰り返すまい。
12.中国人は生まれつき腐敗を貪るが、日本人は生来清廉である。
これは違うなぁ。生まれつきというのは言い過ぎ。人種・民族は違えど同じ人間なのだから、以て生まれた性質は、さほど変らないはず。個別具体的に観るなら、腐敗を貪る日本人がいれば、清廉な中国人もいよう。このスレ主(中国人)は日本人を褒めることで自ら(中国人)に欠ける点を論いたいのではないか、と勘ぐりたくなる。見下すつもりはないが、民族的素養の差でしょうね。つまり、『修身斉家治国平天下』ってこと。これって、支那孔子様の“お言葉”じゃなかったかしら。
《以下、次稿に続く》
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