先月、大分へ行った話を書いてのち、一ヶ月以上も更新を怠けてしまった。小学生時分の同窓生(非同級生も含めて男女8名)と約50年ぶりに再会し、感慨に耽っていたからだ。
実は昨年10月に母校(東大分小)を訪れた際、その傍にある同級生の実家兼仕事場を発見。ふらっと立ち寄らせてもらったが、あいにく旅行中とかで留守だった。しかし、直ぐに電話があり、『近く“同窓会”をやるから来ないか』と誘われた。残念ながら恒例のチェンマイ旅行と重なり出席できなかったが、今回、その時の写真等も少し分けてもらうことができた。
どうでもいいけど、ホームページにある校章が凄い。これじゃまるで「東大」じゃありませんか。学帽は持ってたものの、あまり被ったことがなかったもんなあ。
自分を棚に上げて書くと、みんな爺さん婆さんに成り果てて教えてもらうまで誰が誰だか判別不可能だった。まぁ、周囲の景観も昔とは全く変わってしまったのだから無理もない。中学は城東中学校へ進学したけれど、父親の転勤により三年(昭和37年)の夏休みに関東へ引っ越してしまい、正確に言うと「卒業生」ではない。ただし、三年一学期に撮影済みだった卒業アルバムだけは送ってもらい、半年しか在籍しなかった鎌ヶ谷中学校のものと併せて二冊所蔵している。
今や隠居の身になって毎年大分を訪れているから変貌した景観には慣れたものの、交友関係となると長らく会っておらず、記憶の中の彼らは「当時」のままである。そのイメージを壊したくないなら、むしろ恋し懐かしと思うだけに止めておいたほうがよかったかもしれない。今回は、良くも悪くも「浦島太郎」になってしまった。
ただ、環境や住む人々は大きく変わり、既に他界した同級生が幾人か居ることも知らされ、歳月の流れに衝撃を受けたのも事実たが、人は変われど人情や風習は昔のままである。なかでも城東中学校のホームページを覗いたら、昔も今も女生徒の制服が同じで変わってないんですよね。これですよこれ、卒業生を含めて全校が一丸になれる重要な要素の一つとは。何でも流行を追って今風にすればよいと言うものではない。
思い起こせば、自分が二年生のとき(昭和36年)に今のデザイン(濃紺地に背の折り返しが淡青)に変更された気がする。一年生時の護国神社で撮った集合写真を観ると、女生徒はありきたりな赤いスカーフに黒のセーラー服姿だから。モノクロ写真なので「色」はないが、記憶を辿れば確か「赤と黒」の組み合わせで間違いない。
まあ、昔を懐かしむ年齢になってしまったが、まだ生まれてなかった後輩のために、当時の写真を幾片か貼っておきましょう。
左二片が東大分小学校。右二片が城東中学校。
いずれも昭和32年~昭和37年頃の撮影。
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