自分は男だから、女心がわかるはずもない。ただ、女性歌手を聴く場合、威勢のいい男勝りな演歌調より、幸薄い女の内心を歌った曲こそふさわしいし断然好みである。生業としての“夜の女”は、男どもが欲するから在る「男社会」の申し子にほかならない。その証拠に、女相手の「ホストクラブ」みたいな風俗店など、江戸時代はもちろん戦前には存在しなかった。「女権」が大手を振って罷り通る現代だからこそ、女の悲哀を歌った昔が懐かしい。
男相手の女の職業(?)は、万国共通のようである。しかし、テーマが同じでも、歌で表現された内容はかなり聴感が異なる。大袈裟に言えば、国民性が反映するのだろうか。作曲された年代は違うが“夜の女”を歌った、個人的に好きな日台泰の三曲を聴き比べてみよう。
下町育ち(1965年;昭和40年) by 笹みどり
作詞:良池まもる 作曲:叶弦大
三味と踊りは 習いもするが
習わなくても 女は泣ける
つらい運命の 花街育ち
義理がからんだ 花ばかり
母と呼べずに わが子と抱けず
嘘とまことで とく紅かなし
金が物言う 浮世と知れど
金じゃとらない 左褄
忘れなければ いけない人と
知ったあの夜は 袂がぬれる
強く生きるの 女の街で
秘めてかざした 舞扇
雨夜花(1934年;昭和9年) by 純純(劉清香)
原歌詞(台湾語) 作詞:周添旺 作曲:鄧雨賢
一、雨夜花雨夜花 受風雨吹落地
無人看見暝日怨嗟 花謝落土不再回
二、花落土花落土 有誰人通看顧
無情風雨誤阮前途 花蕊凋落欲如何
三、雨無情雨無情 無想阮的前程
並無看顧軟弱心性 乎阮前途失光明
四、雨水滴雨水滴 引阮入受難池
怎樣乎阮離葉離枝 永遠無人通看見
日本語版歌詞 作詞:信楽順三/西条八十補作
雨の降る夜に 咲いてる花は 風に吹かれて ほろほろ落ちる
白い花びら しずくにぬれて 風のまにまに ほろほろ落ちる
更けて寂しい 小窓の灯り 花を泣かせる 鼓弓の調べ
明日はこの雨 やむやもしれぬ 散るを急ぐな 可愛い花よ
雨の降る夜に 咲いてる花は 風に吹かれて ほろほろ落ちる
日本語版の中文翻訳(ベリファイ)
下雨之夜 放綻的花 被風吹著 紛紛凋落
白色花瓣 被露滴濕 隨著風吹 紛紛凋落
夜深寂寞 小窗燈光 胡琴音調 使花哭泣
明天這雨 也許會停 莫急著凋 可愛的花
下雨之夜 放綻的花 被風吹著 紛紛凋落
อายแสงนีออน(アイ・セン・ネオン;恥じらうネオン)1980年代
by พุ่มพวง ดวงจันทร์ (プムプアン・ドゥアンチャン)
แสงนวลนวล ชวนให้คนคลั่งไคล้
ดูเรืองวิไล แสงสุกใสนุ่มอ่อน
นี่หรือ เขาเรียกว่าแสงนีออน
ที่คนบ้านป่าผาดอน เข้ามานอนหลงแสง
พบชายชาญ ชวนด้วยเชิงเจ้าชู้
พาไปเที่ยวดู แสงเลิศหรูมากแห่ง
เพลิดเพลิน เผลอจิตไม่คิดระแวง
สุดท้ายมาเจอะสีแสง ห้องตกแต่ง โรงแรม
กลาย เป็น แมงเม่าโง่เง่าทั่วไป
ที่เห็น แสงไฟ นึกว่าเย็นชื่นแช่ม
แสง นีออนสาดสะท้อนร่างสาวจ้าแจ่ม
ทั้งหมด หมดที่โรงแรมแล้วเขาเลย หลบหาย
ฉันนอนคอย คอยเขาก็ไม่มา
นอนกินน้ำตา แสนเหว่ว้าเหนื่อยหน่าย
เจอะแสง นวลอ่อนนีออนฉันอาย
ลาแล้วกรุงเทพใจร้าย อยู่ก็อายแสงนีออน
ฉันนอนคอย คอยเขาก็ไม่มา
นอนกินน้ำตา แสนเหว่ว้าเหนื่อยหน่าย
เจอะแสง นวลอ่อนนีออนฉันอาย
ลาแล้วกรุงเทพใจร้าย อยู่ก็อายแสงนีออน
これが国民性なのだろうか。《下町育ち》は、逆境に堪えながら「強く生きる」ところに力点がある。《雨夜花》の場合、日本語版では“物の哀れ風”に変わっているが、原詞は死ぬしかない絶望のどん底である。《アイ・セン・ネオン》は、バンコク夜の街に懲りたら、別の場所で暮らせばいい、といった如何にもタイ人らしい“マイ・ペンライ(気にしない)”な歌詞になっている。
コメント