はじめに、本論とまんざら無関係でもないので、イヤホンのリケーブル(ケーブル交換)について書いておこう。イヤホンでは、低音寄りのゼンハイザーIE80と高音寄りシュア-SE535LTDの二種持っている。これをジャンルによって使い分けてきた。主にクラシック(管弦楽曲)を聴くので低音豊かなIE80がメイン。しかし、独奏曲や室内楽曲となると大味すぎて具合が悪い。逆にSE535LTDは、高域の繊細な再現が小編成には好都合だが、低域が物足りなくて重厚な曲には向かない。
曲によって使い分けるのが面倒になり、ポピュラー用SE535LTDのリケーブルによる低域補強を思いついた。さっそく、sun cable社のハイエンドモデルAncient Legacyを通販で購入。試聴してみたところ、“昔の遺産”という商品名に違わず、これは素晴らしい。
“懐メロファン”を自認するだけあって所有する音源は、盤こそデジタル化されたCDだが、1960年代以前のアナログ録音がほとんど。ゆゑにこのケーブルが、おのれの趣味に最も合致したという次第。無機的で冷たいデジタル臭さを削ぎ、アナログレコードを真空管アンプで聴くような温もりを与えてくれる。筋肉質の低音量も申し分ない。この組み合わせを知ってしまうと、IE80が誇るふくよかな低音が、却って締まりなく聞こえてしまうのだから、何とも始末が悪い。
さて、昭和44年は学業最後の年。緩フン生活に慣れたおのれが、果たして規則正しい社会人となれるのか、不安で一杯だった。事実、就職がなかなか決まらず、志望した新聞出版会社は全て筆記試験で落第させられた。自分が思うほどには、文筆の適性がなかったのだろう。おかげで、翌年の卒業後も暫くは、就職浪人の身となってしまった。
歌謡界で猛威を振るったさしものグループサウンズも、頽廃に堕して飽きられ、この年以降次第に下火となって行く。これに取って代わったのが、主として女性歌手によるフォーク調の楽曲である。歌謡界にも流行り廃りの周期が巡ってくるようだ。
☆ 君は心の妻だから(昭和44年) - 鶴岡雅義と東京ロマンチカ
こういうムード歌謡は、自分ら若年層とは別の、壮・熟年層で根強い人気があったのだろう。若者御用達の歌が隆盛を極めたこの時期でも、しぶとく命脈を保っていたのだから。この曲もよく“聴かされた”が、嫌いではない。
☆ 泣きながら恋をした頃(昭和44年) - ザ・ヴィレッジシンガース
ヴィレッジシンガースも、グループサウンズとしては先行組の一つ。後発組との違いで言い忘れたのは、髪型とコスチューム。短髪にアイビールックが先行組。後発組は長髪にお揃いの西洋中世風コスチュームと、何故か相場が決まっていた。
☆ 白いサンゴ礁(昭和44年) - ズーニーブー
TBS-TVの『おはよう720』だか何だかの朝番組で、うんざりするほど聴かされていたので覚えてしまった曲。でも、当該番組は翌年放送開始だから、記憶違いかも知れない。
☆ 真夜中のギター(昭和44年) - 千賀かほる
デビュー曲だが、自分はこの曲しか知らない。ゆゑに“一発屋”のイメージしかない。健全なフォークソング調の曲で、政治色が付いた『フランシーヌの場合』(新谷のり子)よりも、遙かに好ましい。
☆ いいじゃないの幸せならば(昭和44年) - 相良直美
好きな歌手ではなかったが、そのキャラクターとは相容れそうにない虚無的な歌唱が、妙に印象に残っている曲ではある。
翌昭和45年には学業を卒えて社会人になる。これを一つの区切りとし、次の曲を聴きながら本シリーズを終えたいと思います。
☆ 今日でお別れ(昭和45年) - 菅原洋一
ありがとうございました。
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