昭和30・31年と言えば、出生地を離れたものの、未だ同じ県内(福岡市)に住んでいた。学年だと、小学二・三年生時分である。翌年には大分へ引っ越したから、これがちょうど人生の節目になって、記憶もはっきりしている。余事ながら、父は御國の役人(公務員)で、自分も全国ネットの生保に就職したから、転居・転勤が当たり前だったんですね。数えてみたら、出生地を含めて11回引っ越したことになる。転勤はあまりしなかったほうだが、それでも転々と職場を12回替わった。勤務所自体が移転したこともあるから、実際はもっと多い。
☆ 次男坊鴉(昭和30年) - 白根一男
これを「懐メロ」と呼ぶには、少々気が引ける。確かに聞き覚えはあるが、頼みの記憶が当時と結びつかず、同時性に欠けるのですよ。我ながら、小二の坊主が“股旅物”に興味を抱くはずがない。しかも、高田浩吉が嫌いなクセして・・・。実は、『テイチク35周年記念SP盤復刻アルバム』という組物LPレコードが手許にある。おそらく、これを聴いて気に入ったのだろう。昭和50年前後の話である。
☆ 喫茶店の片隅で(昭和30年) - 松島詩子
映画『君の名は』の伊藤久男と相聞し合うかのような佳曲で大好きなのだが、これも同時性が薄い。聞くところに依ると、発売当初はまったく売れず、昭和35年頃にようやく火が点いたらしい。“名曲喫茶”に足繁く通っていた学生時代とリンクしていて、歌詞に出てくる【モカの香り】と【ショパンの夜想曲(ノクターン)】が強烈に焼き付いている。おかげで、「モカ」を好むようになったし、興味なかったショパンのピアノ曲も買い集めるハメになった、という次第。
☆ ここに幸あり(昭和31年) - 大津美子
不滅の結婚式定番曲。家にテレビが入った頃(昭和34年)、『テレビ結婚式』という徳川夢声司会の番組があった。副題が『ここに幸あり』だったと思う。この曲が流されていたかどうかは、今となっては定かでないが、この番組と結びついて記憶していることだけは間違いない。
☆ 山蔭の道(昭和31年) - 若原一郎
同時性で言えば、神棚隣の天井高いところに鎮座まします戦前仕様のラヂオから流れ聞こえるのを鮮明に憶えている。しかし、“想い出”という意味では、大人になった後年の出来事に因る。どんな“想い出”なのかは、ヒ・ミ・ツ。ボクちゃん、意地悪だから。せいぜい、格調高き歌声をお楽しみください。
☆ しあわせはどこに(昭和31年) - コロムビア・ローズ
度々登場する同居していた叔母さんは、コロムビア・ローズの熱狂的なファンだったようで、手当たり次第によく口ずさんでくれた。まあ、歌が好きだったのでしょうね。この時代の歌謡曲(とりわけ女性歌手)をほとんど知っているのは、叔母さんのおかげかも知れない。そんなわけで、自分もコロムビア・ローズは好きですね。この人には、台湾の鳳飛飛と相通じるものがある。つまり、ともに「翳り」を感じさせる声質ということ。似た声質でも、蚊が鳴くような声量のローズさんからは、保護が必要なほどの“か弱き女”を想像してしまう。ところが鳳飛飛さんの場合、声量がある分、遙かに“逞しい女”と映る。大袈裟に言えば、これが国民性の違いだろうか。
小学三年生では無理もないが、この曲が映画主題歌だとは知らなかった。
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