韓流ドラマ---“文化の違い”の続き。
日本は独立した文化と観るのが一般的だが、それは近隣の影響を受けた結果でもある。古くに漢字から仮名を創り出し、古代中国発の儒家思想は学問の基礎とされてきた。かつて小中華思想を唱えた朝鮮(韓国)ともなれば、日本の比ではあるまい。実際、朝鮮史では儒学者らが永らく国政を左右してきた。映画・TVに眼を向けると、史劇はもとより現代劇にも儒家起源の成句がよく出てくる。「仁」「礼」「忠」「孝」等の語も多用される。ならば倫理道徳も大差なかろうと思いきや、とんでもない顕れ方をする。
似て非なるものに映るのは、歴史的経緯による社会(世の中)の成り立ちが異なるからであろう。日本が信義に基づく信頼型社会を築いてきたとすれば、大陸(中国・韓国・北朝鮮)方面は対立を孕んだ虚構(フィクション)の社会ではなかろうか。たかがドラマとはいえ、大言壮語・嘘偽り・猜疑・嫉妬・欺瞞・隠し事・企み事・成り済まし・陰謀・駆け引き等の類があまりにも多すぎる。日本で“バカ正直”“クソ真面目”と言えば、言外に相手への敬意が籠もるが、韓流ではそうした生き方を文字通り嘲笑うかのようで不快なこと夥しい。
自分は日本での日常生活に尺度を置いているので、現実離れした韓流ドラマはどうしても“作り話”(つまり、ウソ)とわかってしまう。もともと“作り話”なのだから当然としても、これ見よがしに丸裸(制作者の意図)になられたら堪らなくイヤになる。現実でないことを現実らしく見せるところに「虚構(フィクション)」たる所以があるのに・・・。いや、彼の国では「現実」からして「虚構」なのだから、結局はそうなるのだろうか。何だかややこしい。
拉致事件に“成り済まし”を目的としたものがあった。大韓航空機爆破事件は、日本人に成り済まして日本人の仕業に見せかけたものだった。当時は“成り済まし”が理解出来ず、何のことやらさっぱりわからなかった。自分には夢想だに出来ないことだったが、韓国・北朝鮮では有り得る話なのだろうか。主人公が他人に成り済ますドラマさえある。
・『シンデレラマン』(2009年MBC-TV)
http://www.tbs.co.jp/hanryu-select/cinderellaman/
・『春のワルツ』(2006年KBS-TV)
http://heavysweetheaven.web.fc2.com/spring-waltz/
《つづく》
コメント