『薯童謠(ソドンヨ)』(SBS-TV 2005年)という六・七世紀頃の朝鮮が舞台の歴史劇がある。全55話中まだ29話までしか視てないが、宝剣としての七支刀や聖徳太子の名も出てきてなかなか興味深い。
ウィキペディアに拠ると、
薯童謠とは、『三国(高句麗・百済・新羅)遺事』《薯童説話》に出てくる童謡のこと。子供の頃、芋売りの璋(チャン=武王;第30代百済王)が、三国一の美人と言われた新羅第26代真平王の三女である善花(ソンファ)姫を知り、童謡を作って子供たちに歌わせた。
善化公主主隠 (善花公主様は)
他密只嫁良置古 (こっそり嫁入りされて)
薯童房乙 (薯童と夜に)
夜矣卯乙抱遺去如 (密会している)
これが都中の噂になり、宮中にも知れ渡り、善花姫は宮中から追い出された。薯童はこれを知り、善花姫と共に百済に移り住んだ。そこで薯童は黄金を沢山掘り出し、法師がそれを新羅の宮中へ神通力で運んだ。薯童はこうして人心を掴み王となった。ただし、この説話は言い伝えを集めたものとされ、歴史的な事象とは捉えにくい。
とある。実際、説話のチャンは龍から生まれていて、到底史実とは認め難い。ドラマでは、ソンファのほうがチャンと再会したいが為、新羅中に『薯童謠』を流行らせる展開で、説話とは成り行きが逆転している。薯童(ソドン)とは“芋っ子”といった意味。ドラマに従うなら、下々の暮らしを知らなかった幼いソンファ公主が、長芋売りで随の賤民(偽装だが)チャン少年につけたあだ名ということになっている。
日本でも、桃から生まれた『桃太郎』、竹から生まれた『かぐや姫』などの昔話があるから、そういった類のものでしょう。故に個人的には史実かどうかが問題でなく、伝承されてきた過程にその国の文化が凝縮されてそうで、大いなる興味が湧く。
題名の『薯童謠』を子供たちが歌う場面が出てくる。どこかで聴いたような節回しのわらべ歌でした。でも、歌詞を知ればかなりきわどくて、子供が大声で歌えるような代物じゃないですね。なお、サントラ盤には入っておらず、代わりに次の二曲をどうぞ。
☆ 서동요(薯童謠:ソドンヨ)オープニングテーマ ☆
善花姫役のイ・ボヨン(李寳英)さんは、元ミス・コリアだけに相当な美貌。普通は美人度に比例して近寄り難い冷たさを感じるものだが、妙に親近感を抱かせる。なぜだろうと思ったら、女の武器(?)といわれる泣き方が下手。そして才色兼備の大胆不敵なお姫様役にしては、時折みせる慌てふためいた大仰な演技に危うさが残り、むしろコミカルでさえある。そこが男どもには可愛く映り、思い上がってまでも守ってあげたくなるのでしょうね。
☆ 서동요(薯童謠:ソドンヨ)エンディングテーマ ☆
エンディングに流れる事実上の主題歌。『薯童(喜)』の曲名を持つ。児童合唱が入っていることから、『薯童謠』の曲想を現代風にデフォルメした歌なのかもしれません。どうでもいいけどこの映像、途中で消えてしまうし、なぜかタイ文字が垣間見えますね。タイ版サントラ盤なのかなあ。
制作者にしてみれば、歴史(?)に名を借りた一大悲恋ドラマのつもりでしょうが、そんな観方はミーハーにお任せして、自分には別の関心がある。何かというと、《格物》の語が頻出する。不勉強でわからなかったが、どうやら《格物致知》の思想で貫かれているらしい。
日本と諸外国を峻別する一つに、統治手法の違いがあるように思う。悦服(悦んで従わせる)か屈服(力でねじ伏せる)かの違いがそれ。諸外国が概ね英雄出現による征服王を戴いてきたのに対し、日本は外敵侵略の危険に晒される場が少なく、内政も比較的安定していたため、必ずしも英雄の出現を要しなかった事情もあろう。
従って諸外国の歴史ドラマは、次々と周辺国を屈服させて行く国王や英雄を是とする向きが色濃い。しかし日本は、昔から専守防衛の国。武力を誇示したり権力を振りかざす者はどちらかと言えば悪役であって、むしろドラマになりにくい。ところが『薯童謠』というこのドラマは常識を覆して日本的であり、《究極の統治は屈服に非ずして悦服に存す》と説教垂れんばかりの作りになっていて、とにかく面白い。
同じ歴史劇でも『朱蒙(チュモン)』に違和感を覚えるのは、朝鮮流民救済や失地回復の大義名分に異存はないものの、悪役の仮想敵国漢と同じ手法(武力威圧)を用いて相手を屈服させていく典型的な征服王として描かれているせいかもしれない。
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