韓流歴史劇の“我田引水”には目を瞑るとして、『薯童謡』や『朱蒙』を観ていると、度重なる征服戦争が民族の興亡に直結していたとよくわかる。同時代の日本は、彼らとは何が違っていたのだろう。津田左右吉著『建国の事情と万世一系の思想』から引用してみよう。
日本の国家は日本民族と称し得られる一つの民族によって形づくられた。この日本民族は近いところにその親縁ある民族を持たぬ。支那民族とは、もとより人種が違う。朝鮮・満洲・蒙古方面の諸民族とも違うので、このことは体質からも、言語からも、また生活の仕方からも、知り得られよう。ただ半島南端の韓民族のうちには、あるいは日本民族と混血した者が幾らかあるのではないか、と推測せられもする。また洋上では、琉球(の大部分)に同じ民族の分派が占居したであろうが、台湾及びそれより南方の島々の民族とは同じでない。本土の東北部に全く人種の違うアイヌ(蝦夷)のいたことは、いうまでもない。
皇室が日本民族の全体を統一してその君主となられるまでに、どれだけの年月がかかったかはわからぬが、二世紀頃には大和の国家の存在したことがほぼ推測せられるとすれば、日本全土の統一せられた時期と考えられる五世紀初めまでは約三百年である。何人もそれ(天皇)に対して反抗する者はなく、その地位を奪い取ろうとする者もなかった。そうしてそれにはそれを助ける種々の事情があったと考えられる。
その第一は、皇室が日本民族の外から来てこの民族を征服しそれによって君主の地位と権力とを得られたのではなく、民族の内から起こって次第に周囲の諸小国を帰服させられたこと、自然の成り行きとして皇室に対して反抗的態度をとる者が生じなかった、ということである。
第二は、異民族との戦争のなかったことである。日本民族は島国に住んでいるために、東北部にいたアイヌの外には、異民族に接していないし、また四世紀から六世紀までの時代に於ける半島及びそれに続いている大陸の民族割拠の形勢では、それらの何れにも、海を渡ってこの国に進撃して来るような者はなかった。それがために民族的勢力の衝突としての戦争が起こらず、従って君主の地位を不安にする事情が生じなかったのである。
第三には、日本の上代には、政治らしい政治、君主としての事業らしい事業がなかった、ということであって、このことからいろいろの事態が生ずる。天皇自ら政治の局に当たられなかったこともその一つであり、皇室の失政とか事業の失敗がなかったこともその一つである。内政において重大事件が起こっても、天皇自らその局には当たられず、国家の大事は朝廷の重臣が相謀って処理した。従って天皇には失政も事業の失敗もない。このことは、おのずから皇室の地位を安固にするものであった。
第四には、天皇に宗教的任務と権威とのあったことが考えられる。天皇は武力を以てその権威と勢力とを示さず、また政治の実務には与られなかったようであるが、それには別の力があって、それによってその存在が明らかにせられた。それは、一つは宗教的任務であり、一つは文化上の地位であった。「現つ神(あきつかみ)」という言葉も、知識人の思想においては存在し、また重々しい公式の儀礼には用いられたが、一般人によって常に言われていたらしくはない。すべての人に知られていた天皇の宗教的な地位と働きとは、政治の一つの仕事として、国民のためにいろいろの神の祭祀を行われたりすることであったので、天皇が神を祀られるということは、天皇が神に対する意味での人であることの明らかな証である。
第五には、皇室の文化上の地位が考えられる。半島を経て入って来た支那の文物は、主として朝廷及びその周囲の権力者階級の用に供せられたのであるから、それを最も多く利用したのは、いうまでもなく皇室であった。皇室は新しい文化の指導的地位に立たれていた。このことが皇室に重きを加えたことは、おのずから知られよう。
以上、皇室は朝廷の権力者や地方の豪族にとっては、親しむべき尊ぶべき存在であり、彼らは皇室に依属することによって彼らの生活や地位を保ちそれについての欲求を満足させることが出来た、ということになる。なお半島に対する行動が彼らの間にも或る程度に一種の民族的感情を呼び起こさせ、その感情の象徴として皇室を観る、という態度の生じてきたらしいことをも、考えるべきだろう。皇室に対する敬愛の情がここから養われてきたことは、おのずから知られよう。
う~む、なるほど。悉く“征服王”を戴いた満洲・朝鮮半島諸民族と違って、日本の天皇は“悦服王(?)”だったということか。
日本=“恥の文化”
韓国・朝鮮=“恨(ハン)の文化”
欧米=“罪の文化”
朝鮮民族にとっての「恨」は、単なる恨み辛みではなく、あこがれや悲哀や妄念など様々な複雑な感情をあらわす。彼らの「恨」の形成の裏には、時の王権や両班による苛斂誅求を極めた支配や、過去より幾度となく異民族による侵略・屈服・服従を余儀なくされ続けた長い抑圧と屈辱の歴史があると言われる。(「ウィキペディア」より)
この分類が妥当かどうかは別にして、長い歴史の中で醸成されてきた民族感情だけに、強ち的外れではないような気がする。
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