☆ 男らしい男が居なくなった風潮
或人の咄に、享庵先年申し候は、
「醫道に男女を陰陽に當て、療治の差別有る事に候。
脈も替り申し候。然るに五十年以來男の脈が女の脈と
同じ物になり申し候。爰(ここ)に氣がつき候てより、
眼病の療治男の眼も女の療治に仕りて相應と覺え申し
候。男に男の療治をして見申し候に、その驗(しるし)
これなく候。さては世が末になり、男の氣おとろへ、
女同前になり候事と存じ候。これは慥(たし)かに仕
覺え申し候事故、祕事に仕置き候。」
と申し候由。
これに付て今時分の男を見るに、いかにも女脈にてあるべしと思はるるが多く候。あれは男なりと見ゆるはまれなり。それに付今時少し力み申し候はば、安く上手取る筈なり。さて又男の勇氣ぬけ申し候證據には、しばり首にても切りたる者すくなく、まして介錯などといへば、斷りの云ひ勝を利口者・魂の入りたる者などと云ふ時代になりたり。
股ぬきなどと云ふ事四五十年以前は男役と覺えて、疵無き股は人中に出されぬ樣に候故、獨(ひとり)してもぬきたり。皆男仕事血ぐさき事なり。それを今時はたわけの樣に云ひなし、口のさきの上手にて物をすまし、少しも骨々とある事はよけて通り候。若き衆心得有りたき事なり。
【 訳 】
或人の話として、医師享庵が以前、次のように述べたという。
「医学では男女を陰陽に区別して、治療するにも差別が
あるものだ。脈も男女では違う。しかし、ここ五十年ほ
どの間に、男の脈が女の脈と同じような調子に変わって
きている。ここに気づいてから、眼病の治療に際して、
男に対しても女の治療法で事足りるようになった。男に、
対男の治療を施しても一向に効果が現れず、さては世も
末ともなり、男の意気が衰えて女同様になってしまった
かと考えている。これは慥かに体験した事なので、秘密
にしてある。」
このことを念頭に置いて最近の男を見ると、如何にも女脈であろうか、と思われる事が多く、あれはまことの男だと見えるのはまずまれである。それだけに、近頃は少しの努力によって、簡単に上位の者になる事が可能である。男の勇気が抜けてしまった証拠には、縛り首の罪人すら斬った者が少なく、まして切腹の介添えをせよ、などと言えば、上手に断ったほうが利口者、などと言われる時代になってしまった。
〈股ぬき〉などと言う事も、四、五十年以前は専ら男がやるものとされ、疵のない太ももなどは人中に出されぬ代物であったから、独りででも疵をつけた者だ。みな男の仕事、血気にはやったこととされていた。それを、近頃は阿呆のようなこととされ、口先ばかりの達者さで物事を処理し、少しでも骨の折れそうなことは避けて通るようになってしまった。若者たちにも、こうした点についていろいろ考えてもらいたいものではある。
三島由紀夫が「葉隠入門」を著した昭和四十年代は、ちょうどピーコック革命とかいわれて男のおしゃれが流行った頃ですが、その後、アッシー君、みつぐ君などと呼ばれる女の召使いみたいな若者が登場したのもつい最近のことと記憶します。
江戸元禄期にも同じような傾向があったのですね。さすると、男気を取り戻すには、もう一度戦乱の世に逆戻りするしかないのでしょうか。
この世は無常、未来永劫不変はありえないとなれば、好むと好まざるとに拘わらず、戦乱の世が来ないとも限りません。或いは輪廻転生、男の時代、女の時代が交互にめぐっているのかもしれません。
ありがとうございました。
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