☆ 神 道
神は穢を御嫌ひなされ候由に候へども、一分(ぶ)の見立てこれありて、日拝怠り申さず候。その仔細は、軍中にて血を切りかぶり、死人乗り越え働き候時分、運命を祈り申す為にこそ、兼々は信心仕る事に候。その時穢あるとて、後向き候神ならば詮なき事と存じ極め、穢も構ひなく拝み仕り候。
【 訳 】
神は穢れをお嫌いなされるそうだが、些かの考えがあって、毎日の拝礼を欠かさずにいる。その訳は、戦場で血を浴びたり、死人を足蹴にして働いている時の武運長久を祈る為に、常々信心しているのである。その時、穢れが身についているといってそっぽを向くような神であったら、仕方ないと思い切って、穢れの如何に拘わらず拝礼している。
【 解説 】
古神道の穢れの思想は、武士道といつも抵触するように思われた。一説によれば古神道の穢れを清める水が、武士道において死の観念に代置されたという人がある。即ち古神道では死穢(しえ)を忌み、また血の穢れを居むが、もし武士が戦場に出で立てば、その周りには死穢と血穢は必然的に群がり起こってくる。
平田篤胤の「玉襷」によれば、死穢を除けるには死体を置いた部屋の敷居の外に座らなければならないとか、「膿汁失血の禁忌、痔血(はしりぢ)鼻血の類は沐浴解除(はらひ)して参宮すべし。」とか、詳しい規定が述べられているが、武士はそのような古神道の教養に、あくまでも忠実であることはできなかった。これらすべてを清める水の代わりに、死を象徴的に持ってきたという考えも、じゅうぶん頷けることである。
しかし、常朝はそのような妥協策を神道について講じているのではない。彼は神道におけるタブーを激しく否定したままで武士道を貫こうと試みた。ここでは、日本の伝統的な穢れの思想は、激しい行動の意欲の前に踏み破られているのである。
う~む、厳しい。さすがの御武家様も神頼み(?)するのかと内心ホッとしたのですが、三島の解説を読むと、どうやら違うようですね。
「その時穢あるとて、後向き候神ならば詮なき事と存じ極め、穢も構ひなく拝み仕り候。」 これが、武士道における敬神の心でしょうか。思いも付きませんでした。
自分の場合、子供の頃は家に神棚と天皇(明治天皇だったか)のご真影があったのは、食事時にご飯をチョコッと供える役回りをもらっていたので憶えています。朝目覚めの時と就寝時に手を合わせて拝むことを義務づけられていた程度で、特に神道がどうのこうのと考えたこともありませんでした。
それに、神社仏閣の前を通る時、脱帽して頭を下げる習慣は、誰に言われるでもなく、自然と身についていました。理由は簡単。周りのみんながしているので、それを真似ていただけ。敬神の心など、子供にわかろうはずもありません。二拝二拍手一拝の作法は、小四時、護国神社参拝の折、担任の先生から教わりましたが、その場限り。
大人になると、そんなことはすっかり忘れてしまい、神様の存在自体が、頭の中から失せてしまっていたんですね。まあ、麻雀するときに、麻雀の神様が憑いているかどうかは、意識しましたけど、ほとんど微笑んでくれませんでした。
これまで既に、何度か書いてきたことですが、数年前、大分縣護國神社を訪れた際、境内で遊ぶ小中学生が、すれ違う見知らぬ当方に向かって、脱帽して「小父さん、こんにちは。」と挨拶するんです。手水場では、誰も見ていないのに、「使わせてもらいます。」と呟いている。どれもこれも、自分が子供時代にやって来たことです。大げさに言うと、「伝統」とは、こうしたことを指すのでしょう。
世の中、(悪い方向へ)変わってしまった、と思い込んでいたのですが、変わった張本人とは、誰あろう己自身のほうだったのです。
ありがとうございました。
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