☆ 案ずるより産むが易し
何某申し候は、「浪人などと云ふは、難儀千萬この上なき樣に皆人思ふて、その期には殊の外しほがれ草臥るる事なり。浪人して後は左程にはなきものなり。前方思ふたるとは違ふなり。今一度浪人したし。」と云ふ。尤もの事なり。
死の道も、平生死習ふては、心安く死ぬべき事なり。災難は前方了簡したる程にはなきものなるを、先を量つて苦しむは愚かなる事なり。奉公人の打留めは浪人切腹に極りたると、兼て覺悟すべきなり。
【 訳 】
或人が、「浪人などというものは、苦労も並大抵ではないように誰しも思い込み、そうなった時、殊の外に打ちしおれ、まいってしまうものだ。しかし、浪人してしまえば、それほど心配するまでもなく、前に考えていたこととは違っている。もう一度浪人してみたいものだ。」と言った。この言葉は、尤もな事である。
死に関しても、日常気持の上で死ぬ練習をしていれば、いざという時、安らかに死ねるものだ。災難は事前に考えた程のものではないので、前以て苦しむのは馬鹿馬鹿しい。奉公人の行き着くところは、浪人か切腹に決まっている、と最初から覚悟しておくべきである。
「葉隠」の説く処世術とは、表題の如く「案ずるより産むが易し。」の世界なのでしょうね。なんとなく、わかる気がします。やれ弱肉強食の格差社会だ、それ年金が破綻して自分がもらえなくなる、と大騒ぎしている現代人を山本常朝が見たら、「すくたれ者どもよのう。」と笑い飛ばすことでしょう。
それにしても「死ぬ練習」とは・・・。常朝さんも、物凄いことをおっしゃいますね。どうやればよいのでしょうか。いやいや、未熟者がうっかり真似ると、本当に死んでしまいそうです。
ありがとうございました。
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