☆ いろんな事態を、前以て検討しておくこと
覺の士、不覺の士といふ事軍學に沙汰あり。覺の士といふは、事に逢うて仕覺えたるばかりにてはなし。前方に、それぞれの仕樣を吟味し置きて、その時に出合ひ、仕果(しおほ)するをいふ。然れば、萬事前方に極め置くが覺の士なり。不覺の士といふは、その時に到つては、たとへ間に合はせても、これは時の仕合せなり。前方の僉鑿(せんさく)せぬは、不覺の士と申すとなり。
【 訳 】
覚(さとり)の士、不覚の士というのが軍学のなかにある。覚の士というのは、大事に遭遇して、経験からいろんな事を自分のものにしただけの人をいうのではない。事前にそれぞれの方法を検討しておいて、いざという時に見事に決着をつける人でなくてはならない。であれば、すべて事前に覚悟し、決めておくのが覚の士である。
不覚の士というのは、いざという時に際して、たとえ間に合うように見えても、これは秋(とき)の運からそうなっただけのことである。事前にいろいろ研究しないのは、まさしく不覚の士というべきであろう。
いざというときに慌てないよう、何事も事前に検討をし覚悟を決めておきなさい、との教えでしょうね。当たり前といえば当たり前のことですが、これがなかなか思うに任せないのは、なぜでしょうか。
かくご 【 覚 悟 】
1.危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、
それを受けとめる心構えをすること。
2.仏語。迷いを脱し、真理を悟ること。
3.来るべき辛い事態を避けられないとして、諦めること。
観念すること。
4.覚えること。記憶すること。
5.知ること。存知。
う~む。一般に「1」か「3」の意味で用いられるように思いますが、平時においてやたらと口にするのも気恥ずかしい感じですね。
というのも、乾坤一擲の秋(とき)或いは今際の際(いまはのきは)などにこそふさわしい気がします。
本題から逸れますが、いつも怒ってばかりいる人なんか案外慣れっこになってちっとも恐ろしくないものです。ところが、普段はおとなしい人が突然怒ったときの怖さといったら尋常ではありません。「覚悟」についても同様ではないでしょうか。これでしょうね、目に見えず言葉でも表せない日本的なるものとは。現代人(当方を含む)は、何か釦の掛け違いがあるような気がします。
ありがとうございました。
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