☆ 自分の能力の限界を知る
我が知惠一分の知惠ばかりにて萬事をなす故、私となり天道に背き、惡事となるなり。脇より見たる所、きたなく、手よわく、せまく、はたらかざるなり。
眞の知惠にかなひがたき時は、知惠ある人に談合するがよし。その人は、我が上にてこれなき故、私なく有體の知惠にて了簡する時、道に叶ふものなり。脇より見る時、根づよく慥(たし)かに見ゆるなり。たとへば大木の根多きが如し。一人の知惠は突つ立ちたる木の如し。
【 訳 】
我々は、僅かな知恵しかないのに、その知恵で全ての物事を判断し処理しようとするから、却って邪念となり、天の道理に背き、悪事と化すのである。脇から見ていると、そんな知恵は汚くて、弱々しく、狭いうえに、どうしても動きが鈍いものだ。
よりよい知恵が思い浮かばないときは、それらしい知恵者と話し合ってみるのもよいだろう。その人は自分のことではないから、私心なく素直に判断することができ、結局は、道理にも適うことになる。
これは大切なことで、傍から見ていると、根気強く確実なものに見えるのである。例えば、大木の根が、たくさんあって、太いようなものである。一人の知恵には限りがあって、あたかも一本聳えて立っている立ち木のようなものである。
「三人寄らば文殊の知恵」との諺にもあるとおり、独断専行に陥らず他人の意見も訊いてみよ、との教えであろうかと理解します。そう言えば、「知・仁・勇」の「知」(知恵)とは、人の話をよく聞くこととありました。
確かにその通りでしょうが、匙加減が難しいような気がします。他人の意見を妄信するのも考えものだし、最終的な取捨選択の決断は己自身が下すという自覚が必要でしょう。そうした自覚がないと、失敗したときは発案者のせいにし、成功すれば我が手柄にしたくなるものです。
「知恵者」に意見を求めよ、のところまでしか書かれていませんが、おそらく採るも捨てるも己の判断であるからしてその責任は自分が負う、という前提があるものと思われます。
三島が指摘するように、「葉隠」が逆説の書であるとするなら、江戸元禄期の人々(武士)も独断専行に陥りやすかったということでしょうか。さすれば、可視的な姿形はともかく、心の内は現世とちっとも変わらない世の中だったのでしょうね。まあ土着の日本人なら、現代を生きる我々に共通して江戸元禄期を生きたご先祖様をもっているのですから、当たり前と言えば当たり前のことかもしれません。
ありがとうございました。
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