☆ 立身出世
若い内に立身して御用に立つは、のうぢなきものなり。發明の生れつきにても、器量熟せず、人も請け取らぬなり。五十ばかりより、そろそろ仕上げたるがよきなり。その内は諸人の目に立身遲きと思ふ程なるが、のうぢあるなり。又身上崩しても、志ある者は私曲の事にてこれなき故、早く直るなり。
【 訳 】
若いうちに出世してお役に立つのは、あまり効果がない、利口な生まれつきとしても、才気が熟さず、人も納得しないものである。五十歳ぐらいになって、徐々に仕上げるのがよい。そのうち、多くの人に出世が遅いと思われるくらいのほうが、本当に役に立つ者なのである。
また、たとえ身代を持ち崩しても、志のある者は、我が身の不正な利得を計ったりしないので、早く立ち直るものである。
【 解 説 】
一刻も早く死ぬことを勧めるように見えながら、実際生活の分野に於いて、「葉隠」は晩熟を重んじている。これは人間の行動の能力と、実務的な才能とが、必ずしも時を同じくして花を開かないことを暗示しているように思われる。
なぜなら、御用に立つとは武士にとって二つの意味がある。一つは身を滅ぼして君に忠たらんとすることであり、一つは緻密な、実務的才能を以て国へ奉仕することである。
「葉隠」の面白いところは、世間ではまるで別の能力と考えられている、行動的能力と実務的才能とを、年齢の差によってそれぞれの時代の最高の能力として、同等に評価していることである。ここに「葉隠」という本の、不思議な、プラクティカルな性格があると言わねばならない。
何ですか、「プラクティカル」って?
プラクティカル 【 practical 】
実際に役立つさま。実用的。実践的。
な~んだ。それなら「実用的」或いは「実践的」と書いてくれれば、直に理解出来たのに。三島は、こうしてわざと外国語を忍ばせ、読者の識力を試しているのかもしれませんね。
「葉隠」が説くところは、昔から「大器晩成」という言葉もあるとおり、これを是とし、むしろ「早熟」は未熟に通ずる、ということでしょうか。自分は、この考え方を支持します。
「名曲決定盤」の野村あらゑびす氏も、この考え方を採られているようです。オットー・クレンペラーという独逸の指揮者がありまして、戦前はかなり前衛的な新進指揮者だったらしく、レコードが出なくなってから「早熟」のレッテル貼りがなされていたように記憶します。
このクレンペラー、戦後再び頭角を現し、英国で生涯を終えていますが、恐ろしくテムポの遅い演奏をする人でした。ベッドでの寝煙草が原因で大火傷したり、亭主持ちのソプラノ歌手と駆け落ちし、その亭主からぶん殴られた翌日は、包帯をぐるぐる巻きにして平然と指揮台に立っていたそうで、音楽以外の話題にも事欠きませんでした。
傑作なのは、リハーサル中、“社会の窓”が開いてるのに気づかず、夢中で指揮するのを見かねたコンサートマスターか誰かがそっと指摘すると、「それと音楽と何の関係がある?」と凄んだそうですから、相当な人だったのでしょうね。
話がすっかり逸れてしまい、失礼致しました。
を は り 。
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