みなさま、こんにちは。
では、「マタイ受難曲」の珠玉集に入ります。
まずは、劈頭第1曲の合唱から。(解説;東川清一/対訳;杉山好)
☆ 第1曲 合唱
第Ⅰ群:4声部;横笛フルートⅠ/Ⅱ,オーボエⅠ/Ⅱ,弦楽,通奏低音,ソプラノ・リピエーノ(コラール=ト長調).
第Ⅱ群:4声部;器楽は第Ⅰ群と同じ編成.ホ短調12/8
(第Ⅰ群) (第Ⅱ群)
来たれ、娘たちよ。
我と共に嘆け。
見よ。
誰を?
花婿を。
見よ、その君の
如何にいますか?
小羊の如くに
いますを。
(コラール)
おお神の小羊、罪なくして
十字架の上に
ほふられし御身よ。
見よ。
誰を?
花婿を。
見よ、その君の
如何にいますか?
小羊の如くに
いますを。
見よ。
何を?
その忍耐を見よ。
如何なるときにも御身は忍耐を
つらぬきたり。
よし、いかばかりの辱しめを
こうむり給うとも。
見よ。
何処を?
我等の罪咎を。
すべての罪を御身に負い給えり。
さなくば我等は望み絶ゆべし。
見よ。彼
愛と慈しみゆえに
十字架の木を
自ら負いて行くを。
我等を憐れみ給え。
おおイエスよ。
バッハの合唱曲のなかでも最も壮大な曲の一つ。その情景描写も鮮やかである。前面には一群の兵士たちが構え、彼らの真ん中にイエスが十字架の重みでよろめいている。悲しむべき行列がゆっくりと前に進んで行き、シオンとその娘たちは遠くでそれを待ち受けているのである。
管弦楽の序奏は行進曲風のリズムながら、何とその足取りの重いことか。同音を繰り返して止まない低音は、疲れ果てた救世主の引きずる足に他ならない。やがて管弦楽の動きに重ねて歌い出すシオンの声は、何と胸に迫る悲痛さをたたえていることか。その半音階的進行も決して偶然ではない。
この長大な合唱はこうして、管弦楽の行進曲風の主題とシオンの悲痛な主題とによって織りなされていくのだが、行列が近づき、シオンの悲しみが弥増すうちに、あたかも天使の合唱のように、有名な受難コラールが聞こえてくるのである。
これは、ステレオ録音のリヒター盤が最高。第Ⅰ群、第Ⅱ群の合唱が左右に分かれて聴けます。少年合唱による受難コラールは、天翔る天使の歌声そのものです。キリスト受難物語にも拘わらず、至福の始まりのような錯覚を覚えるのは何故でしょうか。
ありがとうございました。
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