■ 第二十四課 日 記
日記ト云フモノハ、一寸考ヘルト、書クノニ手間ガカゝルバカリデ、別ニコレト云フ利益モナイヤウデアルガ、實ハサウデハナイ。日記ニ書イテ置イタ事ハ、後ニナツテ、役ニ立ツコトガ多ク、又、之ヲ讀ムト、何年ノ何月ニハ、コンナ事ヲシタナドトオモヒ出シテ、愉快ヲ感ジルモノデアル。
ソレバカリデナク、毎日、日記ヲツケルト云フコトハ、其後ヲ綿密ニスル習慣ヲ養フモノデ、若イ者ニ取ツテハ、格別著イ事デアル。日記ハ簡単ニ分リ易ク書ク方ガ善イ。細カク書クト、餘計ニ手間ガカゝルカラ、長續キガシナイ。次ニアルノハ、崔允明ノ日記ノ一部デアル。
二 月
九日 月曜 曇
昨夜カラ西風ガ強ク吹イタ。父上ハ、家内ノモノニ、火ノ用心ヲヨクセヨト命ジラレタ。
十日 火曜 晴
天氣ガ大層寒クテ、朝ハ寒暖計ガ零下二十度ニサガツタ。明日ハ紀元節ダカラ、學校デ紀元節ノ唱歌ノ練習ガアツタ。
十一日 水曜 晴 紀元節
朝早ク起キテ、國旗ヲ立テタ。午前十時ニ、學校ニ紀元節ノ儀式ガアツテ、校長先生カラ、神武天皇ノオ話ガアツタ。先生ノオ話デ、神武天皇ノ御恩ノ非常ニ深イコトヲ感ジタ。學校カラ歸ツテ、李洪一サント遊ンダ。平壤ノ叔父サンニ、手紙ヲ上ゲタ。
十二日 木曜 雪
朝起キテ見ルト、雪ガ降ツテ居タ。學校ノ往キ來ニハ、途ガ惡カツタ。隣ノ李準弘サンハ、小サナ弟ノ手ヲヒイテ、一シヨニ學校ヘ連レテ行ツタ。弟ヤ妹ニ親切ニシテヤルノハ、マコトニ善イコトダト思ツタ。
十三日 金曜 曇
學校カラ歸ツテカラ、父上ノ御用デ、齋藤サンノ家ヘ使ニ行ツテ來タ。父上ハ急ニ用事ガ出來テ、大東面ヘ行カレテ、夜オソク歸ラレタ。
十四日 土曜 晴
今朝學校ヘ往ク途中デ、ガマ口ヲ拾ツタ。中ニ金ガ壹圓貳拾五錢ハイツテ居タ。先生カラ教ヘテ戴イテ、屆書ヲ書イテ、鍾路警察署ニ屆ケタ。
十五日 日曜 晴
イツモノ河デ、氷スベリヲシテ遊ンダ。洪奇一サンガ、チヨツト人ノ突キ當ツタノヲ、大層オコツタノハ、善クナイコトダト思ツタ。
・ 練 習
一、日記ヲ書クト、ドンナ益ガアリマスカ。
二、日記ノ書キ方ヲオ話シナサイ。
三、次ノ詞ニ、送リ假名ノマチガイガアルナラバ、オ直シナサイ。
招ネク 作クル 遊ビテ 格別ツ 夜ル 思モフ 歸ル
日記というのは、後年になって読むと面白いですね。
自分も昭和四十年正月(高校二年)から昭和四十五年十一月(社会人一年生)にかけて五年間だけ日記をつけていました。
己の日記と教科書にある崔允明さんとの最大の相違点は、「敬語」でしょうか。崔さんは、親や友人を敬う気持ちが表れています。それに比べて・・・。
恥ずかしながら、四十四年前の今日の日記を転載します。
1965年2月17日(水)
Tちゃんの機嫌がかなり悪かった。L・H・Rは奈良・京都の映画だった。帰りに「おれについてこい!」を買った。電車でEとSに会った。道路はあいもかわらずほこりだらけで、肺ガンになっちゃうよ、まったく。L・H・Rがのびたので、帰りついたのは5:20だった。
「昨日のつづき」でもいっていたが、大松さんが「参議院選に出馬しない」ときっぱりいったのはうれしかった。議員とは名を利用してまで発展しようとするんだから、まったくあきれる。
Tちゃんとは物理の先生。EとSは、中学校の同窓生。ホームルームで奈良・京都の映画を観たのは、修学旅行(三月)を控えていたから。この時、高二の三学期でした。
道路がほこりだらけというのは、東武野田線鎌ヶ谷駅と新京成くぬぎ山駅傍の自宅官舎間を自転車通学でして、ほとんど未舗装だったため。
「おれについてこい!」は、前年の東京五輪女子バレーボールで金メダルをもたらした日紡貝塚大松博文監督の著書。当時、その氏が参院選に出馬するとの噂がでていたため、有名人なら誰でも利用しようとする政界(特に自民党)を批判的に見ていたのですね。なお、「昨日のつづき」はラジオの深夜トーク番組で、確か青島幸男元都知事(当時マルチタレント)が出ていた、と思います。
すっかり話題が逸れましたね。
ありがとうございました。
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