■ 第一課 皇 室
神代の昔、天照大神は御孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を降して、我が國を治めしめ給ひし時、
「此の國は我が子孫の君たるべき地なり。汝皇孫、ゆいて
治めよ。皇位のさかんなることは、天壤(あめつち)ととも
に窮(きわま)り無かるべし。」
と仰せられました。
瓊瓊杵尊は此の御勅(おんみことのり)に從ひ、大神から賜はつた鏡・劔・玉の三つの御寶を奉じて、此の國にお降りになりました。これは三種の神器と申しまして、此の上もない尊い御寶で、皇位の御しるしとして、次々に御代々の天皇に傳へられます。
天照大神の御勅の通りに、天皇の御位には、必ず大神の御子孫が、お即きになりますから、萬世一系の天皇と申し奉ります。
御代々の天皇は、萬民を子の樣に思召(おぼしめ)して、仁政を施されました。仁徳天皇が
「民の貧しきは則ち朕の貧しきなり。民の富めるは則ち朕の
富めるなり。」
と仰せられましたのは、御代々の天皇の、臣民に對せられる大御心でございます。
かやうに有り難い皇室を、戴いて居る我々日本臣民は、まことに幸福なものでございます。決して其の御恩を忘れてはなりません。
・ 練 習
一、天照大神の御勅をお述べなさい。
二、三種の神器のことをお話しなさい。
三、萬世一系の天皇と申し奉るわけをお話しなさい。
四、御代々の天皇の、臣民に對せられる大御心をお話しなさい。
五、左の文を口語體に改めてごらんなさい。
(イ)此の國は我が子孫の君たるべき地なり。
(ロ)皇位のさかんなることは、天壤とともに窮り無かるべし。
(ハ)民の富めるは則ち朕の富めるなり。
■ 第三課 天日槍(あまのひこ)
第十一代垂仁天皇(すいにんてんのう)の御時、播磨國(はりまのくに)の或る海岸に、一艘の船が着いて、見かけのいやしくない人が、數人の從者を連れて上陸しました。
やがて此の事が朝廷に聞えましたので、天皇は使者をお遣はしになって、
「お前は誰か。」
と、お尋ねになりました。すると
「私は新羅の王子で、天日槍と申すものでございます。
天皇陛下の御徳をお慕ひ申しまして、こちらに住みたい
と思つて、はるばる海を渡つてまゐつたのでございます。」
とお答へ申しました。さうしていろいろな珍らしい物を獻上いたしました。
そこで天皇は其の願をお許しになつて、日槍に土地を賜はろうと仰せられました。日槍は
「まことに有り難うございます。それでは私はこれから
國々を巡つてみまして、心にかなつた所に、住ませて戴き
たうございます。」
と申し上げました。
天皇はそれをお許しになりました。それで日槍は方々を巡り歩いて、但馬國(たじまのくに)が氣に入つたといふので、其の地を戴いて住みました。
日槍の子孫は其の地方の名家になつて、永く皇室につかへました。
・ 練 習
一、天日槍は天皇の御使に何と答へましたか。又、天皇が其の願をお許しになつた時、何と申し上げましたか。
二、天日槍の子孫のことをお話しなさい。
巻八に至って、“皇国史観”ここに極まれり、ですね。ガリガリの日教組偏向教師が見たら口から泡噴いて卒倒するかも。
「歴史は物語である。」
史実がどうのこうのよりも、それがどんな“物語(人間ドラマ)”として現代へ語り継がれてきたか、という「こころ」のほうを自分は大切にしています。
ありがとうございました。
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