■ 第九課 本州と四國
本州は大層大きな島で、通例、之を五つの地方に分けます。五つの地方とは中國・近畿・中部・關東・奥羽です。
本州の氣候は大抵温和ですが、奥羽地方の冬は、寒さがはげしうございます。そうして奥羽地方も中部地方も、海に向って居る所は、冬になると、雪が多く積ります。
關東地方と近畿地方とには、大きな都會がいくつもあります。東京や横濱は關東地方にあって、京都・大阪・神戸などは、近畿地方にあるのです。
下關から汽車に乘れば、中國・近畿・中部の各地方を通って、關東地方に入り、東京に着きます。其の間に廣島・神戸・大阪・京都・名古屋・横濱などがあるのです。汽車は東京から、更に奥羽地方の北端まで、通じて居ます。
中國地方の南には、瀬戸内海を隔てて、四國があって、氣候は本州よりも暖かです。瀬戸内海には絶えず船が通い、波がおだやかで、方々に島があって、大層景色がよろしうございます。
下關は中國地方の西端にある港で、此處から、毎日、朝鮮地方え船が往來します。
又、中國地方の日本海に面して居る地からも、船が朝鮮え往來します。大昔、素戔鳴尊が朝鮮え往來なさったのも、多分、此の邊からだろうということです。
・ 練 習
一、本州及び中國の氣候はどんなですか。
ニ、汽車・汽船で、京城から奥羽地方の北端まで、旅行する道すじをお話しなさい。
三、瀬戸内海のことを文にお作りなさい。
四、「追い追い」「絶えず」「いくつも」を用いて、三つの短文をお作りなさい。
本州区分で、この当時(大正三年)は、東北地方を「奥羽」と呼んでいたのでしょうか。だとすると、東北弁も奥羽弁と言われていたのでしょうか。何だかピンときませんね。
神話の世界とはいえ、素戔鳴尊が朝鮮を往来していたとは知りませんでした。確かに記紀には「韓國(からくに)」が出てくることから、古代の人々も朝鮮を認識していたことが窺えます。
また、扶余のことや白村江の戦いもありましたからね。
ふ よ 【 扶 余 】
1.前1世紀~5世紀に中国東北地方から朝鮮半島北部で活動したツングース系の民族。また、その建てた国。1~3世紀に全盛期を迎えたが、494年に同じツングース系の勿吉に滅ぼされた。
2.大韓民国忠清南道の郡。538~660年、百済の都の置かれた地。
半月城・百済王陵などの遺跡がある。プヨ。
はくすきのえのたたかひ 【 白村江の戦い 】
天智天皇2年(663)白村江での、日本・百済連合軍と唐・新羅連合軍との戦い。日本は、唐・新羅軍に攻略された百済の救援のために軍を進めたが大敗し、百済は滅亡。日本は朝鮮半島進出を断念した。
ありがとうございました。
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