■ 第五課 朝鮮地理問答
朴泳武は普通學校の第三年生です。或る日、兄の泳文に向って、
「兄さん、朝鮮は十三道に分れて居るということですが、
それは何々ですか。」
と尋ねました。
兄「まず半島の殆ど中央にあるのが京畿道で、其の南にある
のが忠清南北・全羅南北・慶尚南北の六道、其の北にある
のが黄海・平安南北・咸鏡南北の五道、それに京畿道の東
にある江原道、これで十三道です。」
弟「よく分りました。それから朝鮮の鐡道は、どうなって居
ますか。」
兄「京城と釜山との間には京釜線があり、京城と新義州との
間には京義線があって、半島を南北に貫いて居ます。そう
して京釜線の支線には馬山線・京仁線があり、京義線の支
線には兼ニ浦線・平南線があります。此の外、湖南線・京元
線もあります。又、新たに建設に着手して居るものもありま
す。」
兄はこう言って、更に言葉をついで、
「今度は私が聞くが、朝鮮で一ばん大きな都會はどこですか。」
弟「それは京城です。」
兄「其の次は。」
弟「平壤と釜山です。」
兄「それから。」
弟「外は知りません。」
兄「それでは私が教えましょう。まず南の方からいえば、
大邱・大田・仁川・開城・海州・鎭南浦・元山・咸興な
どが大きな都會です。」
弟「もうありませんか。」
兄「まだあります。晋州・馬山・木浦・全州・群山・新義州
なども、かなりにぎやかな所です。」
弟「陸には鐡道があるから便利ですが、海の方はどんなですか。」
兄「海には朝鮮郵船會社や大阪商船會社などの汽船が通って、
重な港には大抵立ち寄りますから、やはりよほど便利です。
此の頃は朝鮮も大層開けました。」
・ 練 習
一、此の課に書いてあることを、まとめて言ってごらんなさい。
二、十三道の名を、北からじゆんに、南の方え數え上げてごらんなさい。
三、汽車で、新義州から木浦まで行く道すじを、文にお作りなさい。
む~ん。朝鮮十三道? 通常、「朝鮮八道」と言いませんか。京畿道(キョンギド)、忠清道(チュンチョンド)、慶尚道(キョンサンド)、全羅道(チョルラド)、黄海道(ファンヘド)、平安道(ピョンアンド)、江原道(カンウォンド)、咸鏡道(ハムギョンド)。
八道が十三道に再編されたのは、1896年(明治29年)の勅令に依るらしいです。故に、この教科書では、十三道になるわけ。チラッと調べたら、北朝鮮が慈江道(チョンガンド)、両江道(リャンガンド)の新たな「道」を作ったため、韓国側は「相談せずにけしからん」と、怒っているようですね。
地名では、やはり北側の馴染みが薄いですね。ところで、ソウルは戦前「京城(けいじやう)」と呼ばれていましたが、この漢字をハングル読みするとソウルになるのでしょうか。漢語では「漢城」と書きます。
今日、韓国では漢字が使われなくなり、自分の姓名さえ漢字で書けなくなっているといいますが、旅行すると、鉄道バス等の交通機関には、英語と漢字が併記してあります。
反日を国是とする国家にしてはぬかりなのか、漢字は日本語由来のようです。例えば、「仁川空港」と堂々と書いてあります。「空港」は日本語で、漢語なら「機場」のはずですからね。ところが「ソウル」だけは「京城」とも「漢城」とも表記されず、英語でSeoulとなっているだけです。韓国七不思議の一でした。
ありがとうございました。
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