■ 第二十七課 明治三十七八年戰役(一)
露西亞ハ、先キニ、關東州ヲ清國カラ租借シテ、旅順ノ兵備ヲ嚴重ニシテ居マシタガ、其ノ後、清國ニ騒動ノ起ッタ時、多クノ兵ヲ滿洲ニ出シテ、遂ニ之ヲ占領シヨウトシマシタ。ソレバカリデナク、ナオ進ンデ、朝鮮マデモ手ヲノバシテ來マシタ。
若シ朝鮮ガ露西亞ニ占領サレルナラバ、東洋ノ平和ガ破レルカラ、我ガ國ハ之ヲ見テ居ルワケニイキマセン。ソコデ我ガ國ハ露西亞ノ野心ヲ防グタメニ、屡々之ト談判シマシタケレドモ、一向ニ効ガアリマセンデシタ。ソコデ已ムコトヲ得ズ、明治三十七年二月、遂ニ露西亞ト戰爭スルコトニナリマシタ。
我ガ海軍ハ、スバヤク、仁川デ敵艦ヲ破リ、又、屡々旅順口ノ敵艦隊ヲ襲イ、遂ニ黄海デ、大イニ之ヲ打破リマシタ。
又、我ガ陸軍ハ朝鮮ニ入リ込ンデ居ル露西亞兵ヲ遂イ拂ッテ、滿洲ニ進ミ、連戰連勝シテ奉天ニ向イマシタ。別ニ我ガ軍ハ敵ガ難攻不落ト恃ンデ居タ旅順ヲ陷レテ、敵兵二萬餘ヲ虜ニシマシタ。ソレカラ陸軍ハ皆一ショニナッテ、明治三十八年二月下旬カラ三月十日マデノ間ニ、敵ノ大軍ト奉天ニ會戰シ、大イニ之ヲ破ッテ、敵兵四萬餘ヲ虜ニシマシタ。コレガ名高イ奉天ノ戰デス。
・ 練 習
一、我ガ國ガ露西亞ト戰爭スルヨウニナッタワケヲオ話シナサイ。
ニ、我ガ海軍ハドンナ働ヲシマシタカ。
三、我ガ陸軍ハドンナ働ヲシマシタカ。
難攻不落 土地ノ要害ノヨイコト。攻メルニ困難デ、ヨウイニ落チナイトイウ意味デス。
■ 第二十八課 明治三十七八年戰役(二)
露西亞ガ連敗ノ勢ヲ挽回シヨウト思ッテ、東洋ニ派遣シタ大艦隊ハ、明治三十八年五月、日本海ニ現ワレマシタ。我ガ海軍ハムカエ撃ッテ、二十七日ニカケテ、之ヲ全滅サセマシタ。又、別軍ハ樺太ヲモ占領シマシタ。
カク我ガ軍ハ、陸デモ海デモ、勝利ヲ得マシタガ、中ニモ奉天ノ陸戰ト日本海ノ海戰トハ、古來未曾有ノ大戰デ、又前代未聞ノ大勝利デアリマシタ。
ソレデ後ニ、三月十日ヲ陸軍記念日、五月二十七日ヲ海軍記念日ト定メラレマシタ。
其ノ中ニ兩國ハ和睦シマシタガ、此ノ時露西亞ハ樺太島ノ南半ヲ我ガ國ニ割キ、又、關東州ノ租借權ト滿洲ニ敷設シタ鐵道ノ南部トヲ我ガ國ニ讓リ、南満洲及ビ朝鮮カラ全ク手ヲ引キマシタ。
・ 練 習
一、日本海海戰ノコトヲオ話シナサイ。
ニ、我ガ國ト露西亞トノ講和ノコトヲオ話シナサイ。
三、次ノコトバノ意味ヲオ話シナサイ。
連勝。 和睦。 全滅。 記念碑。 手仕事。
古来未曾有 古カラマダ一度モアッタコトガナイトイウ意味デ、ココデハ海戰ガ非常ニハゲシカッタコトヲイウノデス。
前代未聞 以前ニマダ聞イタコトガナイトイウ意味デ、コゝデハ我ガ國ガ非常ニ大勝利ヲ得タコトヲイウノデス。
今度は、「日露戦争」ですね。此処に書かれているは大概知識としてありますが、樺太占領については知りませんでした。
勝ち戦(いくさ)の話は、何度聞いても、また自分のことでなくても誇らしい気分になって良いものですね。内情は国力が疲弊しきっていたらしいですが。
ありがとうございました。
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