第二學年用第二七課「那須餘一」
一、源平勝負(げんぺいしようぶ)の晴(はれ)の場所(ばしよ)、
武運(ぶうん)はこの矢(や)に定(さだ)まると、
那須餘一(なすのよいち)は一心不亂(いつしんふらん)、
ねらひ定(さだ)めてひようと射(い)る。
二、扇(あふぎ)は夕日(ゆふひ)にきらめきて
ひらひら落(お)ちゆく波(なみ)の上(うへ)、
那須餘一(なすのよいち)の譽(ほまれ)は今(いま)も、
屋島(やしま)の浦(うら)に鳴(な)りひびく。
この歌も後年まで知りませんでした。けれども、那須与一の物語は児童本等でよく知っています。的(まと)に設えられた扇には「日の丸」が描かれていたとかも。
運動会の紅組、白組の謂われについて、学校では教わらなかったと思いますが、児童本なんかで源氏と平氏の旗印ということぐらい、子供同士の口コミ情報でみんな知っていました。知らぬは大人たち。そんなものだと思います。
余事ながら、大分は平氏の子孫が多かったです。自分は源氏方に属するようです。だからといって、その出自をめぐって喧嘩になることはありませんでした。つまらないところに拘る事はないと思います。
ありがとうございました。
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