三月に入って、生まれ育った故郷に戻ってきました。東京とは気温が5℃以上違います。陽光がジリジリ暑いです。案内に「全室LAN(有線)完備」とあったので、奮発して九州随一の老舗ホテルに宿泊。ところが、「VDSL用」とか書いてあってチンプンカンプン。LANケーブルの結線不能。悪戦苦闘の末、結局繋がりません。極度の「ネット依存症」に罹っているみたいです。数日間離れただけで、禁断症状が出ました。
昨日(三月三日)、「どぜう鍋」でも食そうと思い立ち、北原白秋の生家がある水郷の町「柳川」を観光してきました。知らなかったのですが、「日本三大雛人形」の町なんだそうです。時節柄、至る所で雛人形を目にしました。街の中心部はいたって静か。高層ビルも少なく、田舎町の印象を拭えません。でも、川下りの舟着き場、北原白秋の生家、柳河藩主立花家の御花(庭園)といった観光スポットは、土曜休日のせいか黒山の人だかりでした。
何気に「柳川古文書館」という白壁土蔵造りの小博物館(無料)へ寄ってみました。これがすばらしい。郷土の江戸中期以降の古文書類が展示されていて、当時の暮らしぶりがよくわかります。年号日付や敬称のつけ方、花押、朱印、拇印の意味、江戸文字の読み方などの解説もあります。
閲覧室は古文書図書館みたいになっていて、我が生まれた村(現在は市)の分厚い郷土史(上下巻)を見つけました。古代から現代(平成)まで、克明に記されてあります。そして、何と曽祖父の名前を発見しました。明治三十四年~大正二年、八名の村会議員の一人だったようです。祖父は勘当されてカナダへ渡り、バンクーバーから日本を避けるように東へ移動して、最期はトロントで没しています(昭和四十年)。父系祖父母には一度も生前に会えませんでした。いわんや曽祖父をや。
柳川どぜう鍋を食すつもりが、目玉が飛び出す値段だったので、もう一つの名物「うなぎのせいろ蒸し」をおいしく食べさせていただきました。ほぼ街中央に位置する日吉神社(高々と日章旗が翻る)近辺水路端に「うなぎ供養碑」があり、ちゃんとおまいりしましたよ。人気(ひとけ)もない此処こそ「日本精神文化」を感じました。
(柳川で生まれたわけではありませんが)、やっぱり故郷はいいです。目や耳から入ってくる情報はすっかり変ってしまったけれど、現場に立ってみると「昔の空気」が漂います。視覚や聴覚だけでなく、味覚、嗅覚、触覚の五感情報すべてが揃って、はじめて実感できるものなんですね。
午後から「豊の国」です。先ほど、名物「関さば」の定食を夕餉にいただきました。脂がのって美味。ところがなんと四百九十九円也。タイ国大衆食堂並み値段でした。
我が勇気の源で守護神の廣瀬武夫海軍中佐が祀られる大分縣護國神社へは、子供時分に戻って後日お参りしてきます。
2007年3月4日(日)の記事
コメント