本日は午前中が予科練資料館を訪れ、午後から我が心のふるさと大分縣護國神社にお参りした。
予科練資料館では、約三時間ほど川野館長とお話させていただいた。木更津航空隊で「彗星」を操縦されていたそうだ。話は主に、教育談義となり、『教育勅語』の復活が必要、最近の若者がまともになりつつある、などで一致した。県内各学校から、戦争体験についての講演依頼が、たくさん来るとも言っておられた。ここは個人で開設された博物館だが、靖國神社湯澤前宮司が現職時代に、わざわざ訪ねて来られたそうだ。来訪記念の記帳簿を見せてもらったが、児童・生徒・学生など、次世代を担う人たちが多いようで、しっかりした考えを書き記してあった。
ここに来るのは、戦争末期の海軍大分航空隊基地のパネル写真があるから。終戦の日、昭和二十年八月十五日に宇垣中将以下十一名がここ大分基地から沖縄戦に向け、最後の特攻に飛び立っている。父が航空管制官だったので、板付(福岡)空港から大分空港に転勤になったことから、この地に転校した。いま、大分空港は国東半島に移転したが、当時は海軍基地跡をそのまま使用していた。塹隊壕(えんたいごう;戦闘機格納庫)がまだ残っており、人が住み着いて洗濯物が干してあったりした。生まれる前の写真だが、なぜか懐かしい。
大分縣護國神社は平日とあってか、参拝者は私一人だけ。神門と御社殿前には「奉祝親王殿下御生誕]」という垂れ幕が下がっていた。新しく出来たらしく、「言霊記念館」(無料)という建物があった。「ミニ遊就館」のようだが、大東亜戦争以後に特化してある。バックに「海ゆかば」が流れるよき雰囲気のなかで拝観させていただいた。パネルと英霊の言乃葉が各三十点ほど、注目したのは、歴代首相や自衛隊・外国政府高官・軍隊の靖國神社参拝の様子が写真入で紹介されていること。これは実にわかりやすい構成だと感心した。
2006年10月3日(火)の記事
コメント